■「家庭がどれほど大事かがわかった」
山川はデビュー40周年を迎えた’20年、大手芸能事務所から独立した。
「周りからは“こんな時期だから後でもいいんじゃないの”と言われましたが、僕のわがままで独立させてもらいました。本当にね、コロナ禍のときから事務所の退社や離婚など、目まぐるしいほどいろんなことが起きましたね」
改めて離婚の理由について聞くと……。
「僕はいわゆる子育てを手伝ったことはほとんどないんです。子供たちが幼いころは帰ってきたら寝てるし、起きる前に仕事に出かけなきゃいけないし。こうやって子供2人とも素直に育ってくれたのも、前の女房のおかげです。だから、子供が大きくなって、お互いが好きなことをやっていきたいなと、それがいちばん大きな理由ですかね。
でも、家族の絆は今も強いですよ。離れていてもね。子供たちが僕らを守ってくれている。前の女房には、申し訳ないという気持ちはあるんだけど、なかなか言えなかった。
あと、僕が独立して会社を立ち上げることになったので、結婚していると万が一失敗したときに前の女房まで責任がいってしまう。彼女にも“息子を社長にするとか、保証人にするのは絶対にダメ”と言われていますから」
闘病を機に、元妻との距離感も変わった。
「血液検査の結果を娘に連絡したら『すぐママに伝えて!』と言われてね。僕は“迷惑かけちゃいけない”と思ったんですけど、前の女房と一緒に病院に行ったり、告知を聞いたりできたのは2人の子供たちのおかげだと思います。子はかすがいですね」
闘病のため、食生活には細心の注意を払っている。
「僕はいま、朝ご飯を2回食べているんです。朝6時半に起きて、まずぬるま湯を飲んで生のにんにくとバナナを食べる。2回目は前の女房が持ってきたスープを飲んでいます。夜は高価な健康食品も試しています。兄貴が『なんでも試してみろ!』というからね。
一人になるとね、家庭がどれほど大事だったかわかりました。来年も歌が歌えるのかな? とは思うけれど、こうなった以上は、がんでもなんでも受け入れないといけない。頑張るという言葉はよくないと言われるけど、頑張るしかないからね」
同じくがんを経験した“仲間”たちも心強い味方だという。
「やっぱりがんを経験したみなさんからいろんなアドバイスをいただいたりすると、一人じゃないんだと感じました。一緒に闘ってる人もいると。電話でも『大丈夫だよ』と言ってくれたりね。兄貴の友達にもいますし、クワマン(桑野信義)さんとかね」
新曲『兄貴』を発表し、「これからもまだまだ歌い続けていきたい」と熱く語る。12月4日には鳥羽との初の兄弟デュオ作品『俺たちの子守唄』もリリースする山川に、最後に闘病を支えてくれている元妻への思いを聞いた。
「『ありがとう』、この一言に尽きます。別れてからこう言えるようになったからね。今のこの家族の形がいちばん理想です」