「母のために頑張って生きてきた」仲代達矢さん看取った養女・奈緒が初めて明かした「最期の言葉」
画像を見る 仕事へ出かける仲代さんを自宅で見送る愛妻の恭子さん

 

■「生前最後の舞台を父がやり遂げられたのは、母への強い思いがあったから」

 

改めて父・仲代さんとの思い出を聞くと――。

 

「幼少期の私は父が大好きで家の中でもついて回っていました。そんな私を父も本当に可愛がってくれました。若いころから有名になった父は出かけることが苦手でしたが、私の手を引いて出かけると、俳優ではなく、父として歩くことができると、外に出かけることができるようになりました。

 

我が家では私と父は1番の仲良し。『手のかかるもの同士が出かけてくれた』と、母や祖母に喜ばれるほど、一緒に出かけていました。似たもの同士の父が、私は大好きでした。デパートや遊園地、『ネズミが嫌いだから嫌だ』と言っていたのに、私がミッキーマウスが好きだと知ると、ディズニーランドにも連れて行ってくれました。保育園にお迎えに来てくれたことも、お揃いのアロハを着て花火大会に行ったことも、撮影所や公演先に遊びに行ったことも…貴重な思い出は数えきれません。

 

大河ドラマ『秀吉』やCM、無名塾『森は生きている』の舞台で俳優・仲代達矢と共演できた事も大切な思い出です。ただ、大人になってからは、父は俳優・仲代達矢で、皆のものだとわかり“私は娘だから”と遠慮して生きてきたところがあります。普通の親子だったらもっと父との時間を過ごせたのかなと思います。

 

その反面、葬儀を通じて改めて仲代達矢を通して広がった人間関係を知り、多くの方に愛され、たくさんの方を幸せにしたのだなと父を尊敬すると同時に、娘であれたことを誇りに思いました。出棺の時にご近所の方々が道々頭を下げ、涙ながらに手を合わせてくださる姿にも、感動いたしました」

 

仲代さんの生前最後の舞台は今年6月、能登演劇堂で主演した『肝っ玉おっ母と子供たち』だった。

 

「母が書いて演出し、父が55歳で演じたこの作品を父は80歳を超えて二度再演しました。55歳の父にあてた作品をその年齢でやるのは普通に考えたら不可能でしたが父はやり遂げました。そこには母への強い思いがあったのでしょう。

 

母・恭子は、たくさんのことを遺してくれました。本当に大きな愛のある人でした。母の思い、美学…それはわたしや父はもちろん、無名塾を通った方々の中にも今も色濃く残っているようです。母が肝っ玉おっ母で父と無名塾の方々は子どもたち。艱難辛苦を乗り越えながら旅は続ける。そんな思いだったと思います」

 

偉大な父の“遺言”を胸に、奈緒は新たな旅を始める。

 

画像ページ >【写真あり】初めて仲代達矢さんについて語ってくれた養女の奈緒(他6枚)

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