【前編】「女優を続けてほしい」とメッセージが…森口博子 涙で明かす中山美穂さんとの「FAX文通」から続く
「堀越高等学校の芸能コースに通っていたんですが、芸能の仕事が全然なくて。だからほとんど毎日学校に行っていました。それが恥ずかしいから、忙しいふりをして嘘の早退書を自分で書いて。『ラジオのため早退します』って、学校をサボって、下宿先の近くの教会で時間潰したり、友達と映画を見に行ったりしてましたね」
高校時代をそう振り返るのは、今年、芸能生活40周年を迎えた歌手の森口博子さん(57)。今でこそタレントや女優として、そして数多くの名曲をレパートリーにもつ歌手として知られる森口さんだが、デビュー直後は不遇だったという。
12月3日に40周年記念アルバム『Your Flower ~歌の花束を~』を発売、20日から広島を皮切りに記念ツアーを行うなど、現在も最前線で活動する森口さんに、不遇時代からブレイクまでの音楽人生を振り返ってもらった。
■「のり子ばっかり…」同期をうらやんだ高校時代
「福岡からデビューのために上京してきたとき、事務所には同期の松本典子ちゃんもいました。ふつうその年にプロモーションするアイドルは1人。同期のアイドルが事務所に2人いるってなかったんですよね」
「事務所からはあまり期待されていなかった」と振り返るが、デビュー曲となった、アニメ『機動戦士Ζガンダム』のオープニングテーマ曲『水の星へ愛をこめて』はオリコン16位に輝いた。順調といっていいデビューだったが、その後はヒット曲に恵まれなかった。
「曲が売れないじゃなくて、『いや、売ってないじゃん』と子供ながらに思っていました(笑)。というのもファンレターをもらった時に『ヒロコちゃんのレコード買いに行ったんですけど、どこにも売ってないんですよ』って」
今でこそ、日本を代表する文化としてみられるようになったアニメだが、当時の扱いは今よりも低かった。
「同期でデビューしたアイドルのコたちは専用のラックとかがあるのに、私のはなかったんです。アニメの曲でデビューした私は地味な存在として見られていたのかな。だから、会社的にもガンダムは売れたけど、もうお役ごめんみたいな空気が漂っていて……。
事務所はのりちゃんばっかりプッシュするから、当時の日記に『のりちゃんばっかり、ずるい、ずるい』と書いていました。途中で、それが『のり子ばっかり』になり、最後は『のり子ぶーばっかり』と書いていましたね(笑)」
しかし、腐ってはいられなかった。事務所から“リストラ”宣告を受けたのだ。
「高校の卒業間近に『才能がないから福岡に帰した方がいい』って。でも、私はとにかく歌いたいんで『どんなお仕事でも頑張るので返さないでください』って言ったら、バラエティ番組のお仕事が来ました。
バラエティの仕事の先に『絶対歌があるんだ、歌に繋げるんだ。まずは顔と名前を覚えてもらったら、事務所もやりたいことをやらせてくれる』と私なりの作戦でやろうと決めました。だから、好きなことをやるためには、バラエティで絶対に手を抜かない。だから全身全霊で無我夢中にやりました」
