赤:手塚先生も石ノ森先生も喜んでいるはずですよ。ところで丈さんはお父様とトキワ荘時代のお話をすることはあったんですか。
丈:うちは時々話してくれて。赤塚先生は破天荒なイメージだけど、父は「すごく真面目でシャイで、色白のいい男だった」って言っていました。
赤:根は真面目で常識人なんです。シャイだから、人と会話するにもお酒を飲まないとだめ。
50歳を過ぎて仕事量も減ると、お酒の量が増えていきました。アルコール依存症で体はボロボロで、2002年には脳内出血で倒れて、6年間、病院生活。父の闘病中に眞知子さんが亡くなり、その2年後、母も亡くなり、その3日後には父も……。
手:あのときは大変だったよね。
赤:言葉では表現できないほどの悲しみに襲われていたとき、両親の祭壇に供えてあった赤塚不二夫のムック本を手に取ると、『鉄腕アトムなのだ!!?』という漫画が目に入って……。るみ子さん、勝手にごめんね。
手:いいの、いいの。
赤:でも、それがすごくくだらなくて、声を上げて笑ってしまったんです。悲しみのどん底から、父が引き上げてくれたんですね。
丈:ボクの父も、悪性リンパ腫で5~6年もの闘病生活を送りましたが、創作意欲はあって、いつもアイデアを練っていました。
危篤の知らせを聞いて病院にかけつけたとき、鬼のような形相で目を見開いていた父の姿が忘れられません。きっと眠ったら死ぬと思ったんでしょう。父にはもっと描きたい作品があって、悔しかったのだと思います。
手:うちの父も最期まで描きたい思いは持っていました。入院中の日記にも『トイレのピエタ』という作品の構想メモがあったし。
昏睡状態になってから、病室で父と初めて2人きりで過ごした時間があったのですが、『火の鳥』に象徴されるように、父の一大テーマは生と死。死にゆく父を見て、人は何のために生き、何のために死ぬのかを考えさせられました。
赤:手塚先生の死から、改めて作品を見返すようになったんですね。
手:ライオンのパンジャ、レオ、ルネの3世代を描いた『ジャングル大帝』が印象的で。物語のラスト、レオの生き方に反発して都会暮らしをしたルネが、挫折してジャングルに帰ったとき、亡くなったレオの毛皮を運ぶとすれ違って、ルネは父の匂いを感じるんです。
そこでヒゲオヤジがルネに「これからレオの話を聞かせよう」と語り出し、平原にレオの形をした入道雲が広がる。そんな映画のようなラストシーンが、まるで自分と重なるんです。
父や母に反抗して家を出たものの、父のことを知ろうとしたときには、父が亡くなっていましたから。
赤:うちのパパ、この話をするとワンワン泣き出すんですよ。
手:でも、私にはトキワ荘の先生方など、大勢のヒゲオヤジがいて父の話をしてくれる。今日は丈さんやりえ子さんにもお会いできたし。
赤:本当に。パパはトキワ荘時代に、石ノ森先生にいい音楽を聴かせてもらったり、映画に連れて行ってもらったり、仕事も手伝わせてもらったりして、すごくお世話になった。今日は丈さんにお礼ができてよかった!
丈:そもそもトキワ荘で父たちが集うことができたのは、手塚先生の存在があったからこそ。
手:手塚にとって、石ノ森先生や赤塚先生は最初のライバル。嫉妬に燃えて意地悪をしたこともあったみたいだけど(笑)。でも、こうして2世たちが出会うことができました。また皆さんで集まってお話ししたいですね。
丈&赤:ぜひお願いします。
※手塚治虫/手塚プロダクションの「塚」の、正しい表記は旧字体
画像ページ >【写真あり】「トキワ荘」に集った漫画家2世たちと父の思い出(他3枚)
