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カントリー歌手のケヴィン・シャープが米国時間19日、43歳で死去した。

 

シャープは1970年10月にカリフォルニア州レディングで誕生。高校生時代から音楽活動を始め、1996年にシングル「Nobody Knows」でデビュー、カントリーチャートで首位を獲得した。アーティストとしては華々しい幕開けを飾ったが、彼は人知れず常に病魔と闘っていた。1989年には血液と骨にがんを発症、高校を卒業してすぐに化学療法と放射線治療による闘病生活が始まった。

 

4カ月が過ぎた頃、見知らぬ女性が彼を訪ねてきた。彼女はベッドに横たわるシャープ少年にこう言ったという。「私はメイク・ア・ウィッシュのものです。あなたの願いを叶えるために参りました。行ってみたいところ、してみたいこと、会ってみたい人……何でも言って下さい。全力で実現させます」。シャープは2006年のGuideposts誌で「ああ、これは重病の子供の願いを叶える団体なんだなと気づいたよ。彼女は俺がもうすぐ死ぬと思っていたんだろうな」と、当時の心境を振り返っている。

 

彼はある人物の名前を女性に伝えた。その数日後、シャープはデイヴィッド・フォスターのスタジオで、この音楽界の超大物とセッションしていたという。大好きなバンドChicagoのプロデューサーを務めるデイヴィッド・フォスターはシャープの憧れの的だった。この体験が奇跡を起こしたのだろう。数カ月経ったある日、主治医は彼にこう言った。「君はがんに勝ったよ」と。

 

「死刑宣告よりショッキングなことがあるとすれば、その宣告が撤回されるってことかな。長いこと死の淵にいた俺にとって、人生への帰り道を見つけるのは、想像以上に難しいものだったよ」と彼は後に語っている。

 

彼を人生に引き戻したものはやはり音楽だった。詞を書き、歌い、録音した。プロデュースはもちろんデイヴィッド・フォスターだ。そして前述のデビューシングル「Nobody Knows」が完成した。一躍カントリー界にその名を知らしめたシャープはカントリー・ミュージック・アカデミーの最優秀新人男性ボーカリストとして表彰された。

 

彼は音楽活動と並行し、かつて自分に生きる力を与えてくれたメイク・ア・ウィッシュでのボランティア活動を精力的に行った。1997年には最も献身的に活動した有名人に贈られる「Chris Greicius Celebrity Awards」を受賞。彼はこれを生涯の誇りとしていたという。

 

しかし、健康上の問題は常に彼について回った。1998年と2008年には緊急手術を受け、2011年には病状がさらに悪化。そして2014年4月19日、腹部手術の合併症のため、43歳という若さでこの世を去った。シャープのオフィシャルサイトでは、この訃報をトップページで伝え、故人の遺志を継ぐためにメイク・ア・ウィッシュへの寄付を呼びかけている。

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