アメリカの女性やマイノリティには分厚い“ガラスの天井”があるという。どんなに優秀でもぶち破れない壁がある、と。
「誰もなし遂げていないことなら、なぜ挑戦しないの?」そう言い、次々とその天井を破ってきたカマラ・ハリス氏(56・以下敬称略)。女性初の“アメリカ副大統領”だ。
カマラに絶大な影響を与えたのは、母だった。科学者の母は、子どもたちが質問しても、すぐに答えを出さず、いつも姉妹をこう諭した。
「鍵は、あなたの仮説です。これが実践や実験で証明されるのよ」
母の故郷・インドにも子どものころから訪れていた。母方の祖父は、47年、現在のパキスタンからインドへ亡命。インドの独立を求めて戦った人だ。その後、インド政府高官となった祖父は、故郷を追われた経験を生かし、アフリカ・ザンビアの難民問題解決に当たっている。祖母は、インドの貧困地域に暮らす人々に避妊などの性教育を行い、格差対策に取り組んだ。
常に弱者の視点から、政治や人権を考えるカマラの資質は、祖父母の代から、母を介して継承されてきたものだったのだ。
カマラは母についてこう話す。
「マミーは153cmの小さな体でありながら、一度話せば、2m以上に見えるような人だった」
12歳のとき、母の仕事のため、カナダのモントリオールに転居。高校生のときには、法律の道に進むことを決めていた。
「この仕事は人を助けることができる。それだけの力を持つことができる」
法曹資格を取得した彼女のその後の活躍はめざましい。98年まで、カリフォルニア州アラメダ郡で地方検事補として働いた後、’03年、サンフランシスコで検察トップのポジション、地方検事に立候補する。
周囲は皆、反対した。
「女性のキミには無理だ」
「マイノリティには無理なんだ」
有色人種や女性など、アメリカのマイノリティには今もなお分厚い“ガラスの天井”があるといわれている。どれほど優秀で仕事ができても、必ず見えない天井にぶち当たり、挫折を強いられる、と。
そんななか、カマラは毅然とこう言い放った。
「誰もなし遂げていないことならば、なぜ、挑戦しないの?」
11年には、カリフォルニア州の司法長官に立候補し、当選。16年に上院議員に当選と、カマラは次々にガラスの天井を突き破った。もちろん、それは、彼女の勤勉さと努力に裏打ちされた仕事ぶりが評価されたからこその快挙だ。
カマラは地方検事補時代から性犯罪に取り組んだ。彼女が地方検事になった3年間で、有罪判決率は52%から67%に上昇している。罪は厳しく裁く一方で、一貫して死刑制度には反対した。司法長官時代、多くの注目の裁判で、死刑求刑を拒否したことでも有名だ。犯罪に手を染める子どもたちに多い不登校を改善する政策を練り、更生プログラムも立ち上げている。
移民問題にも取り組んだ。トランプ政権下で、移民の親子が引き離される政策が実行されると、すぐさま現地に飛んで、移民の母親の声を聞き、国の政策を批判した。
カマラの名前が全国区になったのは、18年の上院公聴会だった。法曹界トップの最高裁判事でエリート白人のブレット・カバノー氏を相手に、一歩も引かないカマラの姿が全米で中継されたのだ。
カバノー氏がしどろもどろの答弁を繰り返すのに対し、カマラは終始、冷静沈着。上院議員2年目の新人だったカマラだが、ときにほほ笑みさえ浮かべ、余裕ある態度でカバノー氏を追い詰めた。
その手腕をアメリカ国民は驚きの目で見つめ、おおいに沸いた。彼女の豪腕ぶりを語るなら、リーマン・ショック後の住宅危機で、家を失った人々の救済問題も忘れてはならないだろう。20億~40億ドルの示談金で決着しようとする銀行側をカマラは厳しく追及した。アメリカ5大銀行の1つ、J.P.モルガンのCEOに電話を入れ、直談判。示談金は実に184億ドルまで加算されたのだ。
成功はしたものの、彼女にとってもイチかバチかの賭けだったようだ。
《20億~40億ドルを拒否して、うまくいかなければ彼らに何が残るのか。自分が正しい道を歩めるように祈っていた。こんなとき、母なら何て言っただろうと考える。母はきっとこう言うだろう。『自分の腹の声を聞いて、自分の信念を守るのだ』と》
信じる道を貫くカマラを支えたのは、いつも母の教えだった。
母から教わった志で、次々とその天井を破ってきたカマラ。そしていまや、史上初の女性でアジア系のアメリカ大統領も夢ではない場所に立ったのだ。
彼女だけでない。立ち上がる勇気をもとう。それはきっと、あなたの未来を明るくするはずだ――。
「女性自身」2021年2月2日号 掲載