■名門大在学中に金メダル…“文武両道”なバッハ青年
6歳のころ、フェンシングと出会ったことがバッハ少年の運命を変えた。多くのドイツ少年と同じように最初はサッカーに熱中したが、近所にクラブがなく、“草サッカー”で毎日擦り傷だらけで帰宅する息子を見かねた両親のすすめで、フェンシングクラブに入ったという。
14歳のころ、ついに父が亡くなった。58歳だった。このときのことをバッハ氏はこう振り返っている。
「父の死によって、責任というものを私は意識することになりました。それから、私の母は、多くのことにおいて私の助言を求めるようになったんです」
父代わりに、慕うようになったのがフェンシングトレーナーのエミール・ベック氏だ。のちに西ドイツのナショナルチームのトレーナーにもなるベック氏のもとで、バッハ氏はフェンシングにますますのめり込んでいった。
バッハ氏の身長は171センチと、この競技の選手としては小柄だ。トップレベルでは成功しないと言われたこともあったが、激しい練習で培った優れた技術と知的な戦術、そして持ち前の負けん気の強さで頭角を現す。
西ドイツのナショナルチームの一員となると、1976年のモントリオール五輪のフルーレ団体で見事金メダルに輝いた。世界選手権でもフルーレ団体で、1つの金メダルを含む3つのメダルを獲得。西ドイツの国内選手権でも6つの金メダルを獲得している。
一流のアスリートであると同時に、バッハ氏はドイツの名門・ヴュルツブルク大学の学生。まさに、文武両道を地で行く理想的な青年となった。