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再ブームの予感がする韓国ドラマ。そんな“韓ドラ”の凄ワザを、『定年後の韓国ドラマ』(幻冬舎新書)の著書もある、韓国ドラマを15年間で500作品見た、作家・藤脇邦夫が読み解く!

 

【第6回】『私の人生の春の日』。限られた時間の中の幸福感について

 

韓国ドラマの特徴の一つは、鑑賞後に感じる幸福感だと筆者は常々思っているが、その典型的な例として挙げるのがこの作品『私の人生の春の日』だ。これもストーリーはとりたてて新しいものではなく、そんなに新しい要素が付け加えられているわけでもない。だが、何を語るというより、どう語るかも映像表現ーードラマの一側面であり、重要な要素だ。

 

テーマは、別に韓国でなくても多用されている「闘病もの」の一つで、心臓に持病を抱えていた若い女性が献体で生体移植が可能になり、一命をとりとめて平穏な人生を過ごしているところに、ずいぶん歳の違うある会社経営者と知り合う。

 

実はその女性に移植された心臓は、その男の事故死した妻からのものだった。さらにその女性の婚約者は男の実弟という密接な設定の中、当然、この男女の恋愛がメインストーリーになっていく。興味深いのは、その心臓移植により、どういうわけか女性の中に、男の前妻の感情も同時に移植されたのではと思わせるシーンが効果的に使用されていて、情感の中の既視感(デジャヴ)ともいえる、説明のつかない繊細な印象を見る者に与えたのは予想外の効果だっただろう。

 

例えば、その女性が男の子を見ると何か胸にこみ上げるものがあり、理由もなく泣いてしまうとか、子どもたちと離れると寂しく思うといった情感を抱くようになると、同時に女性は男に対するもう一つの特別な感情を意識し始める。そして、男も、妻の心臓が女性に移植されていることに気付き、恋愛感情が芽生えた瞬間、同時に女性の体調が悪化し、残された限りある日々を男の家族と共に過ごすことになる。

 

この静かな時間の流れは、映画はもちろん、韓国ドラマ独特の特異な点の一つだ。

 

最後は女性がめぐり合った男とその家族との時間に、さらに、自分の人生に感謝して短い生涯を終えることを暗示してこのドラマは終わる。タイトルはその「みじかくも美しく燃え」た日々のことを例えたもので、その時期が私の人生の春の日だったという意味が込められている(ちなみに、女性の役名はボミ、ハングルで「春」という意味である)。

 

視聴後に残るのは、間違いなく、切ないほどの幸福感だ。

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