「お父さま!」と長女・彬子さま(30)、二女・瑶子さま(28)が呼びかけ続けるなか、三笠宮寛仁さまは息を引き取られた——。6月6日午後3時35分、享年66。
『ヒゲの殿下』として親しまれた寛仁さまは、’91年の食道がんの手術以来、21年間で16回も、がんに関する手術を受けながらご公務に取り組まれてきた。千代田区・杏雲堂病院の病室で最期を看取ったのは2人のお嬢様のほかに、母・百合子さま(89)、姉・近衛甯子さん(68)。しかし、結婚生活32年目になる妻・信子さま(57)のお姿はなかった。
麻生太郎元首相の妹でもある信子さまは、’09年10月から病院と同じ千代田区にある旧宮内庁長官公邸で、お一人で生活されている。宮内庁関係者はこう話す。
「公式的には”赤坂御用地内にある寛仁親王邸で生活されると、ストレス性ぜんそくの再発のおそれがあるから”と、説明されています。しかし、寛仁さまご自身が、夫婦関係がよくないことを認めていらっしゃいました……。信子さまは’04年夏から、胃潰瘍と更年期障害のご療養ということで、軽井沢の別荘で長期のご静養に入られました。それ以来、ほぼ8年にわたり寛仁さまとは実質的に”別居生活”を送られてきたのです」
7日、寛仁親王邸で、ご遺体を棺に納める『お舟入』、皇族方がご遺体に最後の対面をする『拝訣』という儀式が行われ、彬子さまや瑶子さま、そして皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻などが参列された。だが、宮内庁担当記者によれば、病室でのご臨終の際も、その後のお別れの儀式でも”ご夫婦の対面”は一度も実現しなかったという。
また、お二人の別居生活は夫婦の亀裂を広げるだけではなく、信子さまと彬子さま・瑶子さま姉妹の関係にも影を落とすことなった、と三笠宮家に近い人物は話している。
「彬子さまと瑶子さまは、もともと”パパっ子”でした。それが、信子さまが親王邸を出て行かれた後、ますます父娘の絆が強まっていったのです。お嬢さまたちからすれば、”病気のお父さまを置いて、家を出てしまうなんて”というお気持ちもあったようです。信子さまは孤独感を強め、お嬢さまたちとも距離をとるようになってしまいました」