11月17日から20日のご日程で8年ぶりに沖縄を訪問された両陛下。「那覇空港にご到着の際には、20人ほどの”元豆記者”たちが歓迎の横断幕を掲げてお迎えしました。両陛下は今回のご訪問では豆記者OB・OGたちとの再会も楽しみにしてくださっていたと伺いました」(全国豆記者交歓会代表・山本和昭さん)
”豆記者交歓会”は49年前、まだ沖縄がアメリカの施政権下にあった’63年からスタートした。「学校新聞などの記者活動をする沖縄と本土の小中学生が行き来して、互いの文化や生活を知るのが目的でした。また、私は皇室と沖縄の接点も生み出せないかと考えました」と、山本さん。山本さんの奔走で、豆記者たちと両陛下の懇談の場が設けられることになった。
両陛下が戦後初めて沖縄の地を踏むことができたのは、豆記者たちとの交流が始まって12年後の’75年7月のこと。その後の会見で陛下はこうおっしゃっている。「沖縄に関心を持ったのは、豆記者が刺激になった」と――。
豆記者たちとの懇談会は両陛下が即位されるまで25年間続き、その後は皇太子ご夫妻が引き継がれている。皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんはこう言う。
「美智子さまがお会いになった沖縄の子供たちは、910人にもなるそうです。皇太子さま、秋篠宮さま、黒田清子さんの3人のお子さまが大きくなられると、懇談の場にお連れするようになりました。豆記者たちにリラックスしてもらうだけではなく、お子さまたちに沖縄の文化や、彼の地が置かれている特殊な事情を教えたいともお考えだったのでしょう」
それだけではなく、天皇陛下と美智子さまは沖縄の子供たちに、日本人としての誇りを持ってほしい、本土との架け橋になってほしい、そして平和への願いを受け継いでほしいと考えていらしたのだ。
ある豆記者OBは「”一生懸命勉強して、将来は沖縄のために尽くしてください”、そんな両陛下からのお言葉を覚えています。そのお言葉が、私の人生の支えにもなりました」という。
’64年8月に第3次豆記者として軽井沢のプリンスホテルを訪れた大城弘子さんはこう語る。「両陛下にお目にかかるのは48年振りということになります。本当にお懐かしいです」
17日の那覇空港で元豆記者たちに気づかれた両陛下は、微笑みながら手を振られた。成長し、沖縄を守り続けてきたかつての少年少女の姿に、両陛下も感無量だったに違いない