このたび、心筋虚血の疑いで精密検査を受けられる美智子さま(80)。
《世界のいさかいの多くが、何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で、わが国の遺族会が、一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの、自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも、今、平和の恩恵に与っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています》
昨年のお誕生日のお言葉だ。安倍内閣は、集団的自衛権を行使できる安全保障関連法案を強行採決した。戦後70年間で今ほど美智子さまのお言葉が、胸に突き刺さる時代はない。
「昨年、皇后はお誕生日に際した回答で、自身の戦争体験をかなり多く盛り込んで語っています。私はそれを安倍政権に対するある種のメッセージと捉えました」
こう話すのは、NYタイムズ東京支局長マーティン・ファクラーさん(48)だ。
《疎開先での日々は、それまでの閑かな暮らしからは想像も出来なかったものでした》
《戦後の日本は、小学生の子どもにさまざまな姿を見せ、少なからぬ感情の試練を受けました》
「両陛下は、日本でいちばん反戦メッセージを言葉にしている人で、いわば“日本の良心”。道徳として語り、あからさまではないのに心に響く。それは、お二人が戦争を体験しているからでしょう」
自分ではどうすることもできない深い悲しみに耐えてきた美智子さまが華やかに開花されたのは、20歳のときだ。成人の日を記念して新聞社が開催した懸賞論文「はたちのねがい」で、聖心女子大学の学生だった美智子さまは2位に入選。美智子さまと同い年のジャーナリスト・渡邉みどりさん(81)は当時のことをよく覚えている。
「当時の生意気な女子学生は皆、応募したものです。私もその1人。残念ながら3次選考で落選しましたが(笑)」
’58年のご婚約発表より3年近くも前の出来事。20歳の美智子さまの言葉は力強く、希望に満ちていた。
《戦争と戦後の混乱を背景に過ごした私達の生活は確かに恵まれたものではありませんでした。しかし、それはすでに過去のものであり、私達の努力次第で明日は昨日に拘束されたものではなくなるはずです》
《現在は過去から未来へと運命の道を流れて行く過程の一つではなく、現在を如何に生きるかによって、さまざまな明日が生まれて来る事を信じようと思います》
時代は移り’94年。アメリカ訪問前、美智子さまは外国人記者の質問にこう回答されている。
《平和は、戦争がないというだけの受け身な状態ではなく、平和の維持のためには、人々の平和への真摯な願いと、平和を生きる強い意志が必要ではないかと思います》
法律家の視点から、両陛下のお言葉を分析する弁護士・武井由紀子さん(48)はこう言う。
「平和は人まかせの受け身では維持できず、実現していくものという考えをお持ちなのですね。美智子さまは、日本を代表する偉人であり、哲学者です。私たちに託された偉大な皇后のメッセージをどう生かしていくのか。まさに今、問われているのだと思います」
最後に’98年、インド・ニューデリーで開催された国際児童図書評議会(IBBY)大会で、基調講演をされた美智子さまのお言葉を。
《生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います》
美智子さまは、ご生涯を通して、この橋をかけ続けていらっしゃる。その橋を未来へつなごうと、ギリギリのご体調で、ご公務に励まれている……。