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「想定外の事態に記者たちも驚いていましたが、まっさきに心配になったのは、雅子さまのご体調でした」

 

そう語るのは皇室担当記者。12月9日、雅子さまは56歳の誕生日を迎えられた。皇后となられてから初めての誕生日だったが、直前には、とあるハプニングがあったというのだ。

 

「お誕生日に合わせて、雅子さまはこの一年を振り返るお言葉を、文書で発表されることになっていました。もともと宮内記者会には、宮内庁を通じてお誕生日3日前となる6日に、事前に文書が渡される予定となっていたのです。しかし、当日夕方になって、侍従職から『文書の配布は8日に延期する』と伝えられました。8日というと、誕生日前日であり日曜日です。報道各社にとっては慌ただしいスケジュールになりました」(前出・記者)

 

突然の延期発表――。いったい、雅子さまに何があったのか。前出の皇室担当記者はこう語る。

 

「侍従職は、雅子さまのご体調が優れなかったためと説明しました。詳細は明かされませんでしたが、やはり即位の礼に伴う一連の儀式の過酷な日程が、雅子さまにとって大きな負担になっていたのだと思われます」

 

最後の即位関連儀式が終了したのは、文書を記者会に配布することになっていた2日前の、12月4日のことだった。この日、雅子さまは十二単をお召しになり、皇居の宮中三殿をご参拝。天皇陛下に続いて、即位に関する一連の儀式が滞りなく終わったことを奉告された。宮内庁関係者が、令和となってからの7カ月を振り返って語る。

 

「ようやく今年5月から続いた一連の儀式が終わったのです。とりわけ秋に入ってからは、たいへんな過密日程でした。11月も、21日から三重県、26日からは奈良県と京都府へと、それぞれ2泊3日の日程で訪問されています。さらに即位礼正殿の儀や大嘗祭など、十二単で臨まれる儀式は繰り返し所作を練習され、外国からの賓客をもてなされる機会も数多くありました。皇后となられてから7カ月、雅子さまは全力でご公務や祭祀に臨まれてきたのです。雅子さまが誕生日を前に体調を崩されてしまわれたのも“完全燃焼”されたゆえだと思います」

 

誕生日のご感想に先んじて配布された、雅子さまの主治医による「医師団見解」にも、次のような記述があった。

 

《皇后陛下には、依然としてご快復の途上にあり、ご体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります》

 

一方で精神科医の香山リカさんは、お言葉が遅れた理由について、雅子さまのたいへん真面目な性格ゆえではないかと語る。

 

「今回の文書が、雅子さまにとって皇后となられて初めてのメッセージになります。しっかりとお考えになりながら、昨年までの皇太子妃時代とは違ったものにしなければ、というお気持ちも強かったのではないでしょうか。内容もさることながら、国民に思いが伝わる文章にしなければと、心を砕かれたはずです」

 

国民への感謝を、自分自身の言葉で届けたい――。そんな“自筆”のこだわりも、ご感想の完成までに時間を要した理由なのだろう。ご感想の中には、次のような国民への感謝の言葉が綴られていた。

 

《5月の皇居での一般参賀や、11月の国民祭典、祝賀御列の儀などの折に、多くの国民の皆様から、思いがけないほど本当に温かいお祝いを頂きましたことに、心から感謝しております》

 

《日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います》

 

11月10日に行われた即位パレード「祝賀御列の儀」では、約11万9千人が沿道に集まった。これは、平成の即位パレードを2千人ほど上回る数だった。

 

「パレードだけでなく、11月に訪問された三重県や奈良県、京都府の沿道や駅前も、歓迎する市民であふれかえりました。皇太子妃時代、適応障害のために公務を休まれることが多かった雅子さまは“自分は国民に受け入れられているのか”という不安を抱え続けていらっしゃいました。それゆえに、沿道からの励ましはとても大きな力になったことでしょう」(皇室ジャーナリスト)

 

「女性自身」2019年12月24日号 掲載

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