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《日本国内各地で出会った沢山の笑顔は、私にとりましてかけがえのない思い出として心に残り、これからの歩みを進めていく上で、大きな支えになってくれるものと思います》

 

雅子さまは56歳の誕生日に際して公表された文書の中で、皇后として触れ合われてきた国民への思いを綴られた。愛知県豊橋市に住む小学2年生の小林咲貴さんも、雅子さまの“心に残る笑顔”の一人だろう。

 

「雅子さまには本当に大きな力をいただきました」

 

そう話すのは咲貴さんの母・智子さん。咲貴さんは脳性まひのため手足に障害があり、車いすで生活している。令和が幕を開けた5月1日、咲貴さんは入院している「青い鳥医療療育センター」内のテレビで、雅子さまを見ていた。即位の儀式に臨まれるそのお姿に感動した咲貴さん。折り紙の裏に手紙を書いた。

 

《そくいおめでとうございます。わたしはリハビリをがんばっています》

 

すると投函直前、6月の「全国植樹祭」ご出席のため愛知県を訪問される両陛下が、なんと咲貴さんの入院先のセンターにも来館されることがわかったのだ。そこで咲貴さんは《会えるのを楽しみにしています》と書き加えて手紙を送った。

 

ご訪問当日。雅子さまはいち早く咲貴さんに気づいた。そして「小林咲貴ちゃんですか?」と声をかけられたのだ。母親の智子さんが話す。

 

「軽度のまひの残る手で頑張って書いたお手紙が、ちゃんと雅子さまに届いて、咲貴の名前でお声がけまでしていただきました。頑張れば奇跡が起こると本人なりに感じたのだと思います。その翌日からは、1カ月前に受けた手術の痛みがあるなか、つらいリハビリも『これくらい、へっちゃらよ』と言って取り組んでくれるようになりました」

 

さらに咲貴さんは、11月10日の即位の祝賀パレードを上京して見学した。青山通りの最前列で「雅子さま~」と一生懸命呼びかけた。その後39度近い熱を出して学校を3日休んだが、回復すると、12月の雅子さまの誕生日に間に合うようにと、2日かけてパレードの感想を手紙に書き、もう1日かけてバースデーカードも用意した。

 

「2歳上の兄が参加していた種子島の『宇宙留学』に自分から応募したり、恥ずかしがり屋が、学校でも声を出して話せるようになったりと、雅子さまのおかげで咲貴はいろんなことにとても前向きになったと感じています」(智子さん)

 

「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載

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