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その電話は、思いがけないタイミングでかかってきた。

 

11月1日、調布市の東京スタジアムでのラグビーW杯日本大会の3位決定戦が終了して、まだ間もない時間帯のこと。この試合には、先ごろ譲位された上皇上皇后両陛下が、ご観戦に訪れていた。

 

美智子さまからの電話を取ったのは、岩手県八幡平市在住で、絵本編集者の末盛千枝子さん(78)。

 

美智子さまの講演録『橋をかける』の編集を手がけ、今年3月には『根っこと翼 皇后美智子さまという存在の輝き』を出版するなど、文学を通じて30年以上の親交がある末盛さんは、この電話で、感慨を抱いたという。

 

「それにしても、試合が終わって戻られて、本当にすぐという感じのお電話で。そんなことからも、ああ、陛下がご譲位なさって、少し余裕も出てこられたのだなぁと思ったんです」

 

この9日後には、令和の御代を迎えての、天皇皇后両陛下の御即位祝賀パレードが行われた。

 

「驚くような報道があると思うけれど、そういうことだから」

 

末盛さんに、美智子さまからそんな電話があったのは、16年夏。その数週間後、『天皇陛下退位』の速報に接して、「このことだったのか」と合点がいったという。

 

その意義について、歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さん(67)は語る。

 

「高齢となられた天皇が公務を担えなくなるという人間的な課題を自ら表明し、それに国民が共鳴して、天皇の“生前退位”を実現させたことは、長い歴史の中でも最も画期的なことでした」

 

そして今年5月、平成の天皇は譲位されて上皇となり、30年以上もの間、皇后として共に歩んできた美智子さまも上皇后となられた。

 

譲位後、上皇ご夫妻は、3食を必ずご一緒にとられ、早朝の東御苑などでの散歩を日課にされていると、10月の美智子さまのお誕生日に宮内庁から発表があった。

 

ふり返れば、常にマスコミにも注目され続けた60年間だった。長くジャーナリストとして皇室を取材してきた渡邊満子さん(57)はこう話す。

 

「皇室は、日本の縮図でした。そんな中で、美智子さまは、広く報道にも目を通されて、国民の思いを感じ取り、全身全霊でどう行動すれば良いかと考えるプロデューサーでもいらっしゃった。皇室に嫁がれて以降の美智子さまの真摯なお姿に心服し、応援する国民も増えていったのだと思います」

 

前出、小田部雄次さんは語る。

 

「皇室だけでなく、戦後日本の生活様式をけん引したという点では、天皇陛下(上皇陛下)や皇室全体の意向を、美智子さまが民間出身としての立場を生かしながら、国民との接点を広げ、かつ強めていったといえるでしょう」

 

12月4日に、令和の天皇陛下のご即位に関するすべての儀式が終了した。令和元年の年末には、台風19号の被災地を、即位後初めて両陛下で訪問されるとの発表もあった。平成流は、確実に、天皇陛下と雅子さまに受け継がれている。

 

美智子さまが、祈りとともに各地でかけ続けた橋は、これからも、いまを生きる人々と次世代にとっての確かな支えとなるだろう。

 

最後に、18年のお誕生日に際しての、美智子さまのご感想から。

 

《私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によきことを祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いていく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います》

 

美智子さまは、これまでにもどれほどのご自分の時間を国民のために使ってこられたか。それを思うと、今後は、お好きな読書や庭作りのお時間が少しでも多くあらんことを願うばかりだ。

 

「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載

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