■文書に秘められた雅子さまのご決意
精神科医の香山リカさんによれば、今回公表されたご感想から、雅子さまが抱かれているご決意が読み取れるという。
「この内容からは、雅子さまが“自分は病気である”“今も快復の途中だ”という意識から離れようというご決意を抱かれていると感じました。皇后としてすべてを完璧にこなされるのではなく、“ご体調の波”と付き合いながら、要所要所のお務めを果たされていくスタイルを、肯定的に捉えられるようになっているのだと思いました」
雅子さまは今年の秋から、直接足を運ばれる形で地方でのご公務を再開させ、皇居の外へお出かけされる回数も増えている。しかしその一方で、国民からは見えないところで奮闘されていた。
「都内や地方で国民と交流されたり、海外からの賓客をもてなすような行事では、雅子さまは元気そうなご様子に見えます。しかし、そうしたお姿に見えるよう、そのタイミングに向けて必死に体調を整えられておられます。国民には伝わりにくいところですが、毎回大変な努力を重ねられていると理解しています」(前出・宮内庁関係者)
雅子さまが懸命に努力される原動力は、どこにあるのか――。長年、雅子さまのご体調を取材し続けてきた皇室ジャーナリストはこう振り返る。
「適応障害と診断される前の2004年3月から、雅子さまはご実家の小和田家が所有する軽井沢の別荘で1カ月ほどお過ごしになりました。その後東宮御所に戻られる際の雅子さまの沈んだご表情は、いまも忘れられません。
雅子さまもかなりおつらい状況だったといい、お部屋にこもりきりで、側近との会話もなく、お願いしたいことがあるとドアの下にメモを挟まれてお伝えになっていた時期もあったと聞いています。苦痛に満ちた日々の中で、天皇陛下の献身的なお支えや、すくすくと育たれる愛子さま、温かい声援を送る国民の存在は、雅子さまの心のよりどころとなっていたのでしょう」
温かく応援してくれた「国民に恩返しを」という雅子さまのお気持ちが、ご感想での“全快宣言”というべきメッセージにつながっていたのか――。
「今年は沖縄復帰50周年の節目でもあり、両陛下は10月に『美ら島おきなわ文化祭2022』などへ出席するため、1泊2日で沖縄県を訪問されました。雅子さまにとって25年ぶりの沖縄県へのご訪問でしたから、ご感想でも言及されています。
今回公開されたお写真のなかには、テーブルに置かれたシーサーが入ったカットや、両陛下で『美ら島おきなわ文化祭2022』の冊子を読まれるカットがありました。平和を願うお気持ちや、国民の安寧を祈られるご姿勢が現れていました。
さらに今年のご感想には、愛子さまについて言及される箇所がなかったことも特筆すべきことでした。文書の冒頭で愛子さまのご成年に触れておられた昨年の内容と対照的に感じました」(前出・皇室担当記者)