■一人の母親として若い世代への希望を
「記者会には、お誕生日前日の12月8日の午前中に文書を配布すると当初説明されていましたが、文書が配布されたのは8日の午後2時ごろになったそうです。
お誕生日のおよそ10時間前まで、雅子さまは熟考されていたと聞きます。今年は陛下のご即位後初の国賓としてインドネシアを訪問され、ご成婚30年を迎えられたこともあり、文量もA4サイズ4枚に及ぶほどで、内容は多岐にわたりました」(前出・宮内庁関係者)
こうして完成した文書には、雅子さまの激しく熱いお気持ちが込められていた。
「今年の文書でとくに目を引くのは、一人の母親として、自然災害や世界各地で続く戦争などで苦しむ子供たちの存在に心を痛められながらも、若い世代への希望を綴られているところでしょう」(皇室担当記者)
雅子さまはご感想のなかで、
《このように、心の痛むことも多い昨今ですが、同時に、若い人々を含め、社会のいろいろなところで、助けを必要としている人々やより良い世の中のために様々な活動を地道に続けている方もたくさんおられ、頼もしく思うとともに、そのような方々の善意や創意工夫に感心し、励まされることが度々あります》
と、ご自身もポジティブな影響を受けていることを記しているのだ。いまも“ご体調の波”と闘われながら、一人の母親、そして“国母”として節目を迎えられた雅子さま。今後のご活動は、どのようなものになるのだろうか。名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう語る。
「東日本大震災の被災者とのご交流で、一人一人の目をしっかりと見ながら、真摯に話に耳を傾けられる場面がありました。被災者の多くが“ご病気で苦しんできたのに、私たちのためにここまで来てくれた”と感じたはずです。
そうした場面がメディアで報じられることで、“雅子さまは献身的に自分たちの声に耳を傾けてくれる”と、対面した被災者だけではなく、国民の多くに“共感”が広がっていったのです。
今後、国内での行幸啓や外国ご訪問においては、儀礼的な行事へのご出席よりも、一般の人々と交流される機会を増やすことが重要ではないでしょうか。雅子さまがご病気と闘われてきたことが、世界中で知られているからこそ、人々と苦労を分かち合うご公務のあり方を形作っていくべきだと思います」
前出の宮内庁関係者は、愛子さまのご成長が、より一層雅子さまの原動力となられていると話す。
「文書のなかで雅子さまは、愛子さまについて《いろいろな時に私たちを助けてくれるようにもなってきたと感じます》と言及されています。
これまでは守る存在であった愛子さまが、支えてくれる存在として成長されたことを頼もしく思われているからなのでしょう。
日本国民だけではなく、世界の人々に発信できるお立場にある雅子さまにとって、“母としての思い”を明確にされたことは、今後のご活動の指針が滲んでいるように感じました」
世界の母たちと連帯し、傷つき苦しむ子どもたちを救い、あまたの人々を温かいほほ笑みで癒す。また新たな一歩を、雅子さまはお誕生日に踏み出されたーー。