■バスのお席にも配慮されたご訪問
前出・宮内庁関係者は、
「こうした窮状を知った雅子さまは、何としても被災地を訪れ、子供たちを抱きしめるように励まし、希望を与えたいというお気持ちを強められていたようです」
そして、珠洲市の避難所でのお見舞いで、陛下と雅子さまは2人の姉妹にお声がけされていた。姉のAさん(18)は、4月から大学生に。地震が起きた元日は受験の直前だった。
「受験期間と震災が重なったことに、雅子さまは『大変でしたね』とおっしゃってくださいました。『大学では何を学ぶのですか』と質問されたので、関西にある大学の経済学部に進みますとお伝えすると、『がんばってください』と励ましていただきました。陛下も、『大学生活、楽しみですね』と言ってくださり、とてもうれしい気持ちになりました」
隣にいた妹のSさん(6)は、春から小学校に入学する。
「雅子さまに、『学校は楽しみですか』と聞かれたので、“はい”と答えました」(Sさん)
慈しみに満ちた会話に、陛下や周囲の人々もふと顔がほころんだにちがいない。輪島市と珠洲市を巡られた“540分”で、雅子さまも一段とご決意を固められたようだと、皇室担当記者は語る。
「両陛下は、東日本大震災の被災3県から、中高生を東宮御所に招かれ、交流を長らく続けられていました。また陛下のご即位に際しても、子供の貧困に関する基金などに寄付されるなど、厳しい立場にある子供たちに寄り添うご活動を続けられています。
日帰りでのご訪問でしたが、現地での子供たちとの交流で、雅子さまご自身も、いっそう子供たちへの支援を強化するご決意を固められたのではないでしょうか」
“被災地の活動に迷惑をかけない”という両陛下の方針もあり、日帰りで2市のご訪問だったが、道中で出会われる一人ひとりにお気持ちを伝えようと、細部にも工夫を凝らされていた。
「両陛下はマイクロバスで輪島市と珠洲市の街中を移動されましたが、沿道に集まった人々から見えやすい位置に、逐一座席の位置を変えながらお手を振られていたのです。こうしたこまやかなご配慮のほかにも、ほぼ全域が焼失してしまった輪島朝市に足を運ばれたことに、今回の象徴的な意味を込められているように感じました。
能登半島は伝統的に農林水産業をなりわいとする人々が多く、朝市は地域の人々が集い、全国的にも知られた場所です。輪島朝市へのご訪問を通じて、“石川県民に寄り添う”というお気持ちを、明確に示されたかったようにお見受けしています」(前出・皇室担当記者)
子供たちをほほ笑みで抱きしめられるかのようなご慰問。すべての石川県民へのエールを送られた天皇陛下と雅子さまのご慈愛は、悲しみの大地を癒し、明日へ向かう力をもたらした――。