■涙ぐむ高齢女性を慰められて
宮内庁関係者はこう語る。
「長らく地元の人々の生活を支え続け、観光名所でもあった輪島朝市の焼け跡をご覧になっていたとき、天皇陛下と雅子さまは、本当におつらそうなご様子でした。その後に足を運ばれた避難所では、息子さんといっしょに避難してきた高齢女性とも懇談されました。
『眠れなかったけれど、(両陛下に)お目にかかれて前に進みます』と、涙ぐむ高齢女性に、雅子さまも目を潤ませながら、『大変でしたね……』と、慰めていらしたのです」
両陛下と被災者たちとの交流について、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは次のように解説する。
「現地の人々にとっては、ご体調が思わしくないときもある雅子さまが、“自分たちのために現地に来てくださった”と感じることで、より皇室を身近な存在として捉えることにつながります。
またご訪問を重ねることで被災者たちも、“自分たちは見捨てられていないのだ”という思いを強めることができるでしょう。それは国民と皇室が“苦楽をともにしている”ことを示すことにほかならず、さらに天皇皇后両陛下にとっても、被災者と向き合われることで、国民の声を直接聞き、自分たちが求められていることを強くお感じになる機会になるはずです。それは雅子さまの精神的なご体調回復にもつながることだと思います」
また、阪神・淡路大震災や東日本大震災の被災地を巡られ、その後も被災者にお心を寄せられている両陛下は、インフラの復興だけではなく、“心の復興”も欠くことはできず、長い時間がかかることも痛感されていると、前出の宮内庁関係者は話す。
「生まれ故郷や、暮らしていた住居を失った被災者の心のケアは特に重要な問題といえます。阪神・淡路大震災では、復興住宅で、誰にもみとられずに亡くなる“孤独死”は10年間で560人にものぼりました。
東日本大震災でも仮設住宅や災害公営住宅で、独り暮らし中に亡くなり、孤独死の可能性が高いとされた人は震災後10年の時点で600人以上でした。そうした悲劇を繰り返さないように、能登地域でも孤独死を避けるための対策が検討されており、実際に仮設住宅の見回りをしている人々もいるのです。
天皇陛下と雅子さまが、29年ぶりに同一県への連続慰問を決断されたのは、復興には長い時間がかかることを国民に知らしめるとともに、“あなたたちはけっして独りではない”ということを被災者たちにもっと伝えたいとお考えだからなのでしょう」
能登半島のすべての被災者が救われるまで……。天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまは献身と祈りの日々を過ごされる。