■昭和から続く日英の“負の記憶”
第二次世界大戦で、日本と英国は枢軸国側と連合国側に分かれて戦った。とくに戦時下の日本軍による英軍捕虜への虐待については、英国民の一部に日本への強い憎悪の感情を抱かせていた。
1971年、昭和天皇と香淳皇后が国賓として英国を訪れた際、抗議行動を起こす英国民もいた。エリザベス女王が出迎え、馬車に同乗してバッキンガム宮殿までパレードが行われた沿道で、人混みから車列に男がコートを投げつける事件が起きた。さらに、滞在中に植樹した杉が翌日に切り倒されるという出来事もあったのだ。
「戦前の日本では、天皇は帝国陸海軍大元帥。平和を望む意思とは反対に、結果的に戦争が自身の名で始められてしまったことに、昭和天皇は忸怩たる思いを抱いていました。また戦後しばらくは多くの当事者が存命であり、天皇の戦争責任を巡って国内外でさまざまな議論があった時代です。
歓迎の晩餐会でエリザベス女王が『両国民の関係は常に平和と友好であったと偽ることはできません』とスピーチしましたが、こうした時代背景もあり、昭和天皇は戦争のことには言及できず、日英両国で批判の声が上がってしまったのです」(前出・皇室担当記者)
近現代史と皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、帰国後に昭和天皇が述べたおことばに注目している。
「帰国した昭和天皇は空港で、“国際平和に寄与するためには、なお一層の努力を要する”ということを述べました。厳しい抗議の声から目を背けずに、現実を受け止めて努力を重ねていくという姿勢を示したものといえます。そしてこうした姿勢は、上皇さまに受け継がれていったのです」
上皇さまと美智子さまは1998年、国賓として英国に招かれているが、このときの歓迎パレードでも、元戦争捕虜が車列に背を向けて抗議の意思を示すなど、厳しい視線を向ける人々がいた。こうしたなか、公式晩餐会で上皇さまが行われたスピーチでは、昭和天皇がジョージ5世に直接薫陶を受けたことにふれながら、
《戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えますが、この度の訪問に当たっても、私どもはこうしたことを心にとどめ、滞在の日々を過ごしたいと思っています》
などと、戦争への強い反省のお気持ちを示されたのだ。
「晩餐会でのスピーチや現地で元捕虜と日本との和解に向けた活動を行う日本人との面会などにより、英国内の世論も変化していきました。ご帰国時には、“今の天皇には責任はない”と、大衆紙を含めてメディアの論調も変わっていたほどだったのです。
こうした日英両国の歴史もあるために、終戦から80年近くたってもなお、天皇陛下が晩餐会などの場で“負の記憶”について何らかの言及をせざるをえないのです」(前出・皇室担当記者)