■早朝からご準備を…連綿と続く心の交流
昭和時代は屋外で、平成以降は屋内で行われるようになったという勤労奉仕団へのご会釈が始まったのは、終戦後の1945年12月。空襲で焼け落ちた宮殿の整備に、宮城県の有志が勤労奉仕を申し出たことがきっかけだった。
「昭和天皇が作業場を訪れ、奉仕団のメンバーに声をかけられたことからこのご会釈が始まり、上皇ご夫妻も皇太子時代から臨まれてきました。陛下も勤労奉仕団との交流を大切になさっていて、今年に入ってからは毎週のように、ご公務やご執務の合間を縫ってご会釈に立たれています。
ご会釈に立たれる際には、両陛下は事前に集まる人々についての情報をチェックするなど、ご準備のうえで臨まれているそうです。しかし早朝からのご準備のために、体調面のご負担から、雅子さまはこれまで、思うようにご会釈に立てないことも少なからずありました」(前出・宮内庁関係者)
皇室への敬愛の念を強く抱く人々との、連綿と続く心の交流。勤労奉仕団に参加した経験がある神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは、ご会釈の雰囲気をこう振り返る。
「これまでに6回参加した中で、あるとき赤坂御用地でのご会釈に、当時皇太子でいらした上皇陛下が、上皇后陛下とまだ幼い紀宮殿下(黒田清子さん)と一緒にいらしたことがありました。200人ほどが緊張して並んでいるほうに、紀宮殿下が歩いてこられ、『ありがとう』とお声をかけられると、奉仕団全体がほっこりした雰囲気に包まれたことを思い出します。
時代によって参加人数や距離感などが変化していますが、天皇陛下や皇族方が、奉仕団の全員にお心を配られていることは一貫して変わっていません。昨年9月に、天皇皇后両陛下と敬宮殿下が勤労奉仕団のご会釈にお出ましになられました。平日は日赤でのお仕事があると思いますが、陛下のご都合がつかないようなときに、敬宮殿下がお一人でもお出ましくだされば、奉仕団にとってはうれしいことだと思います」
勤労奉仕団との交流という、国民と語り合う機会を大切に守られることは、両陛下から愛子さまにも受け継がれていると、前出の宮内庁関係者は語る。
「作業にあたる奉仕団を労うお気持ちとともに、全国各地から足を運んできたさまざまな世代がいる奉仕団のグループと、じっくり語らいたいというお気持ちを、両陛下は強く抱かれているようにお見受けしています。
もちろん愛子さまも、こうした使命を受け継がれるご決意を固めていると思います。愛子さまもご会釈に臨まれることになれば、両陛下と同じように真摯なご姿勢で立たれるにちがいありません」
お仕事と“母のご公務代行”の両立。愛子さまのご献身は、勤労奉仕団のみならず、日本中を喜ばしい気持ちで包み込むはずだ。