天皇陛下のお胸元にはミンサー柄のネクタイが /(C)JMPA 画像を見る

「今回のサミットが私たちの間の友好親善や協力関係のさらなる発展につながることを心から願っております」

 

7月17日、天皇陛下は「第10回太平洋・島サミット」に参加した首脳らを皇居・宮殿に招いて宮中茶会を開かれ、そう挨拶された。茶会では雅子さまが自ら飲み物を賓客に進められるなど、終始和やかな雰囲気に包まれていた。

 

この日、陛下がお召しになっていたネクタイは、琉球王朝時代から沖縄に古くから伝わる織物「ミンサー」をモチーフにした柄だったのだ。

 

「天皇陛下は以前から、石垣島の織元が手がけるミンサー柄のネクタイを愛用されています。この柄には“いつの世までも末永く幸せに”という意味が込められているそうで、“五(いつ)”の“四(よ)”ということで、それぞれ長方形を五つ、四つ配して作られる柄が特徴になっています。

 

参加した太平洋各国と地域の人々と、今後も一層交流を深めていきたいという陛下のお気持ちがあってのことでしょう。さらには、沖縄の人々に寄り添い続けるという陛下の揺るぎないご決意も現れているように感じました」(皇室担当記者)

 

第二次世界大戦末期に日米両軍が戦った沖縄戦は、県民の4人に1人が命を落としたと言われるほどの凄惨な地上戦が繰り広げられ、老若男女問わず多数の犠牲者を生んだ。沖縄は戦後しばらく米国の統治下におかれ、現在も在日米軍基地の大半が集中している現実に県民は直面し続けてきた。

 

「先の戦争は昭和天皇の名で始まった戦争でもあり、多数の犠牲を生んだ沖縄の人々は皇室に対して複雑な思いを抱いてきました。本土復帰後の1975年、皇太子時代の上皇さまが初めて沖縄を訪問した際には、『ひめゆりの塔』で過激派が火炎瓶を投げつける事件が起きたほどだったのです。

 

昭和天皇は戦後沖縄を訪問することは叶いませんでしたが、上皇ご夫妻は沖縄の苦難に心を寄せられ、犠牲者の遺族らとのご懇談や慰霊を重ねてきたのです。こうしたご姿勢は両陛下も受け継がれており、2022年の復帰50周年記念式典でも戦中戦後の苦難に言及され、この年の秋にはご即位後初めて沖縄県を訪問されました。

 

このときは国民文化祭などに出席されるためでしたが、一連の日程を国立沖縄戦没者墓苑での拝礼や遺族とのご懇談から始められています」(宮内庁関係者)

 

陛下が島サミットでミンサー柄のネクタイをお召しになったことは、沖縄と太平洋の国々との歴史的な交流も踏まえられてのことではないかと前出の皇室担当記者は語る。

 

「歴史的に太平洋地域の国々と結びつきがある沖縄の特産品をお召しになったことにも、陛下のお心遣いを感じます。古くから交易を通じて、沖縄は太平洋の国々との交流が持たれていました。また戦前に日本の統治下にあったパラオやミクロネシアなどには、沖縄県から移住した人々も数多くいたそうです。

 

こうした歴史的な背景に対しても心を配られながら、陛下はミンサー柄のネクタイに、平和の下に末永い交流を重ねていきたいというメッセージを込められていたようにお見受けしています」

 

まもなく8月となり、79回目の広島と長崎の原爆忌、終戦記念日を迎える。陛下の“いつの世までも”末永く人々の平和を願われていくご姿勢は、これからも揺らぐことはない――。

 

次ページ >【写真あり】7月17日、宮中茶会に招いた賓客を見送られて

出典元:

WEB女性自身

【関連画像】

関連カテゴリー: