■雅子さまも笑われた「夢」にまつわる歌
永田さんによれば、実は1万6千首を超える応募作のなかで、にこりとするような、似通った内容のものが多数あったという。
「それは、“夢でもいいから自分の歌が選ばれて、皇居の歌会始の儀に出席したい”というものだったのです。そのお話をしましたら、雅子さまは楽しそうに笑っていらっしゃいました。
歌には“そのときにしか詠めないもの”があります。愛子さまのお歌もそうでした。大学の卒業式を終えたばかりという節目でしか、詠むことができないものだと思います。
大学卒業により、離れ離れになっていく友達と再会の約束……。それぞれ道が分かれて、しばらくは会えないけれど、いつかきっと会おう、その日までそれぞれの夢を追いかけていこうという、いかにも若々しい歌です。“追ひかけてゆくそれぞれの夢”という表現も素晴らしいと感じました」
愛子さまは当初、“ふたたび会えるその日まで”とされていたという。
「私は、“会える”では文語表現ですと“会うことができる”という意味にはなりづらいとお伝えしました。
すると愛子さまは、“会はむ”にしますと、直してこられたのです。このあたりは式子内親王を研究し、古典に親しんでいますので、ご自分で調べられたと思います。愛子さまには、『いましか作れない歌がありますので、たくさんお作りになってください』と、申し上げました。
『私は、人の歌を年間20万首ほど読んでいますので、愛子さまが少々たくさんお作りになっても全然平気ですよ』と申しましたら、愛子さまはびっくりされていました」(永田さん)
コロナ禍のため、大学への通学は4年生からになってしまった愛子さまだが、けっして長くはない1年間のキャンパスライフを満喫されていたようだ。大学卒業にあたって発表された文書で愛子さまは、その喜びを次のようにつづられている。
《高校までの友人たちとの嬉しい再会とともに、大学入学後の新たな友人たちとの交流も始まり、学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、直に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました》
