愛子さま “親友との再会”誓われた和歌を選者が絶賛!第一稿からの勤勉な“修正秘話”も
画像を見る 1月22日、淡いクリーム色のドレスで歌会始の儀に臨まれた愛子さま(写真:時事通信)

 

■雅子さまも笑われた「夢」にまつわる歌

 

永田さんによれば、実は1万6千首を超える応募作のなかで、にこりとするような、似通った内容のものが多数あったという。

 

「それは、“夢でもいいから自分の歌が選ばれて、皇居の歌会始の儀に出席したい”というものだったのです。そのお話をしましたら、雅子さまは楽しそうに笑っていらっしゃいました。

 

歌には“そのときにしか詠めないもの”があります。愛子さまのお歌もそうでした。大学の卒業式を終えたばかりという節目でしか、詠むことができないものだと思います。

 

大学卒業により、離れ離れになっていく友達と再会の約束……。それぞれ道が分かれて、しばらくは会えないけれど、いつかきっと会おう、その日までそれぞれの夢を追いかけていこうという、いかにも若々しい歌です。“追ひかけてゆくそれぞれの夢”という表現も素晴らしいと感じました」

 

愛子さまは当初、“ふたたび会えるその日まで”とされていたという。

 

「私は、“会える”では文語表現ですと“会うことができる”という意味にはなりづらいとお伝えしました。

 

すると愛子さまは、“会はむ”にしますと、直してこられたのです。このあたりは式子内親王を研究し、古典に親しんでいますので、ご自分で調べられたと思います。愛子さまには、『いましか作れない歌がありますので、たくさんお作りになってください』と、申し上げました。

 

『私は、人の歌を年間20万首ほど読んでいますので、愛子さまが少々たくさんお作りになっても全然平気ですよ』と申しましたら、愛子さまはびっくりされていました」(永田さん)

 

コロナ禍のため、大学への通学は4年生からになってしまった愛子さまだが、けっして長くはない1年間のキャンパスライフを満喫されていたようだ。大学卒業にあたって発表された文書で愛子さまは、その喜びを次のようにつづられている。

 

《高校までの友人たちとの嬉しい再会とともに、大学入学後の新たな友人たちとの交流も始まり、学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、直に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました》

 

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