「天皇陛下と雅子さまは10月4日から2泊3日で、京都府と大阪府を訪問されました。
3日目の6日には、大阪・関西万博で国連パビリオンを視察されたのです。このパビリオンは『人類は団結したとき最も強くなる』をテーマにしており、創設80年にあたる国連が、平和や人権、気候変動対策などにどう取り組んできたかなどを紹介しています。
両陛下は9月18日には国際連合大学本部で、『国際連合大学50周年記念式典』にも臨席されました。いまでこそ大国の思惑に翻弄され、存在意義が問われていますが、世界の平和を実現するために創設された国連への両陛下の変わらない期待感が伝わってきます」
そう語るのは、皇室担当記者。戦後80年の節目となった今年、天皇陛下と雅子さまは“戦争の記憶を語り継ぐ旅”に臨まれた。
「9月の長崎ご訪問後に、一部のメディアが“戦後80年の『記憶継承の旅』を締めくくられた”とも報じましたが、両陛下からは、これからも“旅を続ける”という固いご意思を感じています。
9月29日に、滋賀県草津市の『滋賀県立長寿社会福祉センター』を訪問された際にも、滋賀県遺族会のメンバーと懇談されています。戦争で父親や親戚らが犠牲になったというお話を聞き、両陛下は沈痛な面持ちで、『残念でしたね』と声をかけられたのです」(前出・皇室担当記者)
平和を希求し続ける雅子さまにとって、最近、胸が熱くなるような出来事もあったのだという。
「9月12日、日本記者クラブが主催している特別企画に、父・小和田恆さん(93)が登壇したのです。企画は各界の長老に『戦後80年』について語ってもらうという趣旨でした」(前出・皇室担当記者)
小和田氏は’90年代に外務事務次官や国連大使を歴任、’03年から’18年まで国連の国際司法裁判所(ICJ)の判事として活動し、そのうち3年間は日本人として初めてICJの所長も務めた。
「ICJを退所してから7年になりますし、93歳の誕生日も目前の高齢ということもあり、体調面を危ぶむ声もあったそうです。実際、もともとは7月28日に登壇予定だったのが、当日に帯状疱疹を発症し、突然キャンセルしたという経緯もありました。
しかしこの日の小和田氏は約1時間ほとんど原稿も見ずに、よどみなく話し続け、さらに1時間弱の質疑応答にも臨んだのです。外務省内では鋭い論客ぶりから“カミソリ小和田”という異名をとっていたそうですが、今回の会見についても、“説得力ある論理”を展開したことから《カミソリ衰えず》と評した新聞もありました」(前出・皇室担当記者)
