1月14日、皇居・宮殿で「歌会始の儀」が行われ、今年のお題「明」に合わせて、天皇皇后両陛下や皇族方が和歌を詠まれた。昨年9月に三笠宮家の当主となられた彬子さまは、次のようなお歌を――。
《祖父宮(おほぢみや)の語りたまひし異国(とつくに)の砂の文明間近に迫る》
祖父母の三笠宮崇仁さまと百合子さまが1975年に訪問されたエジプトを、50年の歳月を経て昨年訪問された彬子さま。その時のお感じになった思いを歌に込められたという。
「宮内庁の説明によれば、“三笠宮さまからお話を伺っていた古代エジプト文明は、ご自身とは関わりがない遠い世界のことだと思っていたが、実際に訪問しさまざまなものをご覧になると、現実のものとして胸に迫ってきた”という思いをお詠みになった歌でした。このようなお歌に接すると、やはり三笠宮崇仁さまや百合子さまへの強い思いを感じずにはいられません」(皇室担当記者)。
2025年は、彬子さまが三笠宮家の祭祀などを継承し当主となり、お母様の寬仁親王妃信子さまが「三笠宮寬仁親王妃家」を創設されるという“分裂劇”が注目を集めた。両家に近い宮内庁関係者はこう明かす。
「彬子さまにとっては、当主となられて初めての歌会始の儀となりました。三笠宮家を創設した三笠宮さまについて詠まれたのは象徴的な出来事のようにも感じています。。
かつて彬子さまはおじいさまの三笠宮さまについて、『学者である祖父の存在があったからこそ今の私がある。このことを忘れたことはありません』と語られています。敬愛してやまない三笠宮さまの思いを受け継ぎ、 “自分こそが、家名と三笠宮さまと百合子さまのご活動に込めた思いやお考えを継承していく“という彬子さまの決心がうかがえます」
彬子さまと瑶子さまが三笠宮家に残り、信子さまが独立される形となった背景には、20年以上に及ぶ母娘の確執がある。
「さかのぼれば信子さまが2004年に病気療養という理由で寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)を離れましたが、寬仁さまのアルコール依存症の治療方針を巡るご夫妻の対立、殿下による家庭内暴力がその原因だったとも言われてきました
彬子さまや瑶子さまは、信子さまの“家出”に反発。’12年に寛仁さまが薨去される前にも、信子さまを対面させないほど、対立は深刻なものとなっていたと報じられています」(前出・皇室担当記者)
2024年11月に百合子さまが101歳で薨去された際も、喪主は孫にあたる彬子さまが務められた。慣例に則れば本来喪主を務めるはずの信子さまは、斂葬の儀にも参列されず、百合子さまのご遺体と対面されることすら実現しなかったという。
「百合子さまの弔問に訪れた信子さまを、彬子さまや瑶子さまらが“玄関払い”したとも報じられました。家名や祭祀、今後の生活をどのようなものにするのかという問題には昨年ある程度の決着がついたわけですが、信子さまと彬子さま、瑶子さまの関係には変化はないと伺っています。
本年1月2日の新年一般参賀でも、信子さまと彬子さまは隣り合ってはおりましたが、会話することはおろか、目を合わせられることもありませんでした」(前出・宮内庁関係者)
新しい年を迎えてもなお、母娘の“春”の訪れはまだ先のことなのかもしれない。
画像ページ >【写真あり】隣の彬子さまと距離をあけ、目も合わされない信子さま(他6枚)
