彬子さま(写真:本誌写真部) 画像を見る

3月30日、『news zero』(日本テレビ系)に出演された三笠宮家の彬子さま。同番組のコメンテーターである嵐の櫻井翔(44)と特別対談を行われた。彬子さまと櫻井は、生まれ年は異なるが“同学年”にあたるという。

 

対談では、彬子さまと櫻井の共通点である「ラグビー」の話題で盛り上がった。

 

「彬子さまは日本ラグビーフットボール協会の名誉総裁を務められていて、一方の櫻井さんも、2023年には『ジャパンラグビーアンバサダー2023』に就任しています」(スポーツ紙記者)

 

「私がよく、一方的にお見かけしているのはラグビーの会場で」と櫻井が話すと、彬子さまは「私も一方的にお見かけしています。上(貴賓席)から『櫻井くん』と手を振っております」とユーモアを交えて返される場面もあった。

 

対談の後半では、彬子さまが発起人代表となり設立された「心游舎」の話題に及んだ。彬子さまは「心游舎」の活動を通じて、稲刈りや畳に直接触れる体験など、日本の伝統文化を子供たちに伝えるさまざまなイベントやフィールドワークなどを行われている。“皇族という立場をより身近に感じてほしいという思いもあるのか”と櫻井に問われると、父である寛仁さまのことにふれ、こう語られていた。

 

「そういうつもりでやっているわけではないですけれども、結果的に身近に感じてくださるのであればうれしいです。

 

父からはずっと“皇族は国民のなかに自ら入り、国民の求めることをするのが仕事だ”と聞かされてきたんです。父にとってはその活動が社会福祉、青少年育成、国際交流の分野だったと思うのですけれども、私は父と同じことをできるわけではないので。自分が貢献できる分野を考えたときに、子どもたちに日本文化を伝えていくことなのかなと思っています」

 

折に触れて、父・寛仁さまへの深い尊敬心を示されていた彬子さま。ただ、今回の対談でも母・三笠宮寛仁親王妃信子さまについて言及されることはなかったのだ――。

 

「信子さま、彬子さまと瑶子さま姉妹の間に確執が生まれたのは、20年以上も前にさかのぼります。信子さまは2004年春に“病気療養”という理由で寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)を離れて暮らされるようになりましたが、寬仁さまのアルコール依存症の治療方針を巡る対立や、殿下による家庭内暴力が原因だったともいわれてきました。

 

彬子さまや瑶子さまは、“ご病気のお父さまをおいて家を出ることは許されない”と、信子さまによるこの“家出”に反発。寬仁さまが2012年に薨去された後も、信子さまが宮邸に戻られることはありませんでした。その後も三笠宮妃百合子さまと彬子さま、瑶子さまをはじめとする三笠宮家の皆さまと、信子さまの間で直接コミュニケーションがとられることは、ほとんどなかったと聞いています。

 

2024年に薨去された百合子さまの『斂葬の儀』の際にも、ご身位や慣例では信子さまが務められるはずの喪主を彬子さまが務めています。弔問に訪れた信子さまを“玄関払いした”とも報じられ、その確執の深さが注目を集めました」(宮内庁関係者)

 

そして2025年9月、彬子さまが祭祀などを継承する当主となり、瑶子さまと三笠宮家に残られることになった。いっぽうで信子さまは、新たに「三笠宮寬仁親王妃家」を創設。“母娘の確執”は、それぞれが独立する生計を営む決着となった。彬子さまはご著書の『赤と青のガウン』(PHP文庫)のコミック版が発売されたこともあり、メディアへ登場される機会も増えている。尊敬してやまない父ばかりではなく、信子さまについて述べられる日は、いつかやってくるのだろうか――。

 

画像ページ >【写真あり】姉の彬子さまとは目を合わせようとされない瑶子さま(他1枚)

出典元:

WEB女性自身

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