(写真・神奈川新聞社)
政府が「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改正法案を今国会に提出する予定を踏まえ、超党派の国会議員や市民らが16日、「私は共謀罪の国会提出に反対です」と銘打った集会を衆院議員会館で開いた。憲法学者や刑事法学者、弁護士のほか、ジャーナリストや評論家、メディア団体の代表者らがマイクを握り共謀罪の問題を指摘。「権力が国民を管理、監視する社会を生む。反対しなければいけない」と訴えた。各氏の主な発言を詳報する。
■「いま声上げなければ」 鎌田慧さん(ルポライター)
いま本当に国民が侮蔑されている。完全に無視されている。本当にやりたい放題やって、それでも支持率が下がらない。慢心した政権の下にある。さらに徹底してやりたいことをやる、という中で行われるのが共謀罪だ。
政府と与党の共謀によって国民支配を強化しようとしている。
6年前にここ衆院議員会館で「大逆事件」の集会があった。1905年に起きた事件。共謀もない実行もない、準備もない。それでも24人に死刑判決が出され12人が実際に処刑された事件だった。このとき最後に処刑された管野スガさんは「煙のような座談だった」と語っている。
元気のいい若者たち4人が天皇をやっつけようという話をしただけで、具体的な根拠も準備も行動もなかった。それでも処刑された。
後に総理となった平沼騏一郎は回想録にこう書いている。
〈とにかく(明治時代の思想家)幸徳秋水がこの事件に関係ないはずはない〉〈事件(爆弾を作る実験)が本当であれば幸徳秋水は首魁(しゅかい)に違いない〉
恐るべき見込みと捜査によって大量の社会主義者が逮捕された。
これは日本の近代史のごく一部。横浜事件もあった。これも完全なでっち上げで、共産主義を弾圧するという狙いだった。
共謀罪についてみると、どこまでが「普通の人」で、誰が過激派で、犯罪者集団になるか。これは盗聴、盗撮によって監視しなければ分からない。そうした恐怖政治はもう始まっている。
それも2020年の東京五輪やカジノといった美名を利用して共謀罪を一気に成立させようとしている。この構図はよく見えていて、よく分かっている。だがそれに対してなかなか反撃できていない。悔しい思いがある。
2013年に安倍晋三首相は(五輪招致の際)「世界一安全な国」と言っている。こういう言い方はとても危険だ。「世界一」を維持というのは、つまり徹底的に支配するという超管理社会を目指すことになる。
(1937年に)ナチスに収監されたニーメラー(神父)の詩を読み上げたい。これは痛切な詩です。
〈ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。社会主義者が牢獄に入れられたとき、私は声を上げなかった。私は社会主義者ではなかったから。彼らが労働組合たちを攻撃したとき、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる者はただ一人も残っていなかった〉
本当にこうした時代になっている。「私には関係ないから」と声を上げなければ、私たち自身が、自由をこれからも持っていられるのかどうかさえ危うい。そういうことがこの日本で始まりつつある。戦後世代の私としては本当に想像できない。とにかく力を出してがんばっていきたい。
■テロを生むのは権力者 佐高信さん(評論家)
共謀罪の話を聞いて私は、森喜朗が総理になったときのことを思い出した。いわゆる「密室の5人組」(2000年4月に小渕恵三首相が倒れ後継を決める際、自民党の有力5人が集まり森氏に決めたとされる密談)。あれこそが共謀だろう。
テロ対策というが、テロリストを生み出すような社会を作っているのは権力者の側ではないか。話が逆なんだ。テロリストは黙っていて出てくるわけではない。
オリンピック、パラリンピックのために共謀罪が必要というが、だったらオリンピックなどやらなくていい。そのお金を福島の復興など必要なところへ使うべきだ。
安倍政権はやらなくていいことばかりやって、やるべきことをやらない。ここに集まった方々で共謀し頑張っていこう。
■民主主義壊す政権 孫崎享さん(評論家)
戦争をやろうという国では、自由と民主主義は維持できない。安倍首相は、集団的自衛権の行使容認によって実質的に米国の下請けで戦争をやろうとしている。そのためには、日本の憲法の自由と民主主義を維持する体制を、壊していかなければいけない。
この共謀罪に関する最も重要な点はそこだ。その戦争は日本人自らがやろうとしているのではなく、米国に言われてやろうとしている。
テロとの戦いは決して世界に平和を作らない。2001年の米国同時多発テロ以前に、テロの被害者は全世界でわずか500人くらいだったという。2014年にはこれが3万人となった。テロとの戦争はまさに世界の平和を壊していると言える。その戦争に日本が参画しようとしている。
参画するために安倍政権は、日本の民主主義体制と自由主義体制を倒すために次々と手を打っている。
日本には民主主義という素晴らしいものがある。だがその貴重なものがぼろぼろになろうとしている。私たちが持っている民主主義体制を維持するために、一人一人ががんばらなければならない時代になっている。
■共謀しているのは誰だ 中野晃一さん(政治学者、上智大教授)
よりによって、この政権にだけは共謀罪を成立させてはいけないと思っている。昨年の英国のEU離脱。トランプ大統領の誕生。そして「ポスト真実」と言われるようになった。だが日本では既に安倍政権によって「ポスト真実」の時代に入っていたと言えよう。
共謀罪は事実認定として「合意があった」ということを当局が認定すれば逮捕できる。だが、これほど「事実認定」ができない政権が共謀罪を使うようになったらどれだけ危ないか。
「戦闘があった」のに「武力衝突」と認定する。どう考えても「戦争」に関する法律を「平和安全法制」と言ってみる。どうみても「墜落」したオスプレイについて「不時着」と言い出す。その理由も「パイロットには着陸させようとした意図があったからだ」と言う。安倍首相は揚げ句の果てに、「わが党は結党以来、強行採決などしようと考えたことは一度もない」などと言う。
この人たちが「共謀した」「合意があった」と認定し始めることがどれだけ恐ろしいことか。こういう人たちが政権にいて、共謀罪を必要としているということは、とても恐ろしい。
共謀しているのは一体誰なんだと言いたい。思い返せばTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)では、自民党は選挙のとき「TPPをやらない」と言っていた。ところが国会が始まると、「やらないと言ったことは一度もない」と言い出す。交渉過程についても黒塗りだらけの資料を出してくる。そして国会に批准しろと言う。
私たちのことは徹底して監視し丸裸にしていこうとし、一方で権力を私物化していっているのが安倍政権の姿だ。
トランプ大統領と共謀し、いつの間にかTPPではなくて2国間交渉(FTA=日米自由貿易協定)をやろうとしている。TPPそのものが受け入れがたい話であったのに、安倍首相は勝手に米国と2国間交渉をやろうとしている。トランプタワーの中や、ゴルフコース上でいろいろ話し、まったくその合意の内容は明らかにしない。
どう考えても大義はこちらにある。私たちの方が彼らを丸裸にしていかなければいけない。速やかに退陣に追い込むとともに、共謀罪を法案として提出させない。立憲野党のみなさんを応援していきたい。共にがんばりましょう。
■憲法上も違憲の疑い 飯島滋明さん(憲法学、平和学、名古屋学院大教授)
まず結論から言う。共謀罪は、世界人権宣言9条「恣意的な身体拘束の禁止」、あるいは人権規約B規約9条の「恣意的な身体拘束の禁止」というものに明らかに反する。
憲法学の観点から言えば、憲法31条「適正手続きの保障」を定めた規定がある。恣意的な身体拘束を禁止する米国流の「デュープロセス・オブ・ロー」の考え方を引き継いでいるが、これにも反する。
22条「通信の秘密」を侵害するものにもなり得る。また33条「逮捕」に関する規定にも反する。
より大きな視点から言えば、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権という、三大原理を侵害するもの。共謀罪は暗黒社会を呼び込むものと言える。まさに現代版の治安維持法と言えるものだ。
沖縄での弾圧をみるに、ひどいことが行われている。同僚の学者も機動隊に突き飛ばされている。記者も拘束されている。(新基地建設反対運動を率いていた)山城博治さんも逮捕され100日以上身体拘束されている。法治国家としてあり得ないことが起きている。
今でさえこうしたことがまかり通っているのに、共謀罪が成立したら一体どうなるか。反原発の運動、反戦運動も、「共謀した」などと言って身体拘束されかねない。権力者にとって目障りなものに対して身体拘束し、場合によっては起訴されかねない。
そもそも、反政府的運動というのは国民主権国家であれば当然に認められるものだ。主権者はいろんな場面で主権者意思を示すことができる。最も示せるのは選挙だろう。だがその選挙の回数は限られている。だからデモがあり、集会がある。
それを安倍政権は弾圧している。反民主的国家でしかあり得ないことがこの国で起きている。安倍首相は北朝鮮や中国に対して「法の支配を守れ」と言っているが、彼にそれを要求する資格はないと言えよう。
憲法21条1項では「通信の秘密はこれを侵してはならない」とある。捜査機関が盗聴をするのであれば、電話の会話が制限される。これは憲法で禁じられていること。共謀罪の成立は、盗聴の拡大に進んでいくことが懸念されている。戦争反対と言えなくなる時代がやってくるかもしれない。暗黒社会をもたらさないためには、法案自体を出させないということが重要だ。
憲法12条では、国民に不断の努力が求められている。私たちは政府に対しおかしいことを、おかしいと言う。それは憲法上の権利であって、民主主義国家であれば当然に認められること。そうしたことを主権者としてやっていこう。