(写真・神奈川新聞社)
いつか自分も故郷に貢献できたら-。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた地元を離れ、神奈川で地方公務員として日々奮闘している女性がいる。宮城県石巻市出身の今野華那さん(25)は、震災直後から復興に尽力してくれた平塚市に恩返しをと、大学卒業後の進路に決めた。石巻市職員の両親から聞かされた感謝の思いを胸に、「今度はこの街で私が役に立ちたい」と市民に向き合う。あの日から6年。誰もが笑顔で暮らせる石巻の再生に貢献できる日を願いながら。
「今でも当時の映像は見ていられない。振り返り教訓とすることは必要だけど、何もかも津波に奪われた街の様子を思い出すだけでつらいから」
2011年3月11日。横浜市内の大学1年だった今野さんは、春休みを沖縄で過ごしていた。「未曽有の大震災」。ニュースから伝わる故郷の惨事を目の当たりにし、空路2日がかりでとんぼ返りした。実家付近は津波の被害もなく、近所の人たちも被災を免れたが、沿岸部の渡波地区で1人暮らしの祖母の家は、土台しか残っていなかった。
市職員として対応に追われる両親は、祖母を探せない。携帯電話は通じず、安否は分からないまま。不安に襲われながら、がれきの山をかき分け、避難所を回り続けた。地震発生から1週間、半ば諦めかけていた折りに公民館へ身を寄せていた祖母を見つけた時は、たまらず泣き崩れた。
死者・行方不明者が3千人を超えた石巻市。1997年に災害時応援協定を結んでいた平塚市は、震災後延べ83人の職員を現地に派遣した。そこで学校管理課に配属となった男性職員2人が今野さんの母の同僚となり、被災した学校の調査や復興工事に国の予算を申請する作業に当たった。一般事務職でありながら技師職並みの仕事をこなす頑張りぶりや明るさが全職員の励みになった、という母の言葉が残っていた。
公務員の両親と同じ道で進路を思い描いていたが、「受験するなら平塚市で恩返しを」という母の言葉に背中を押され、他自治体の採用試験は受けなかった。14年4月に入庁して市民課に配属となり、現在は個人番号カードの発行を担当。震災の影響で住民票がない市民には、より親身になって対応している。
「がんばろう!石巻」
犠牲者を悼む場に立つ木製看板の周辺は、今も更地が広がったままだ。
約2カ月前の年末年始に帰省した今野さんの目に映ったのは、住宅がないままの海辺の風景と、老朽化した仮設住宅や復興住宅の入居申請に漏れた住民たち。現地の職員は依然として足りないとも聞き、あらためて思いを強くした。
「公務員としての経験を積み、少しずつ進む復興の一端をサポートできたら。いつかは平塚からの派遣職員として、故郷の復興に貢献したい」