(写真・神奈川新聞社)
日本最古の海水浴場として知られている大磯海水浴場(大磯町)でこの夏、国際大会などを舞台に活躍している女性ライフセーバーが監視員として活動を始める。昨年の世界選手権で日本人初の5位入賞を果たした三井結里花さん(25)。2日の海開きを控え、「一番の目的は事故を未然に防ぐこと」。海辺の安全を守るためにその目を光らせる。
ライフセービングの全日本選手権の救助種目で7連覇中と、国内では敵なしを誇る三井さん。競技環境のさらなる充実を求め、ことし4月に千葉の九十九里浜から活動拠点を移し、現在は大磯ライフセービングクラブに所属している。
162センチ、58キロの鍛え上げられた体を使い、1日に泳ぐのはおよそ6千メートル。今は男性のライフセーバーらとともに訓練を重ね、夏本番に備えている。「大磯は穏やかでアットホームなビーチ。漁港や近くの道路に常に人がいて、いろいろな人に見守られながら活動ができそう」。そんな夏の光景を思い浮かべつつも、「岩場は特徴でもあるけれど、潮の流れが複雑になる。堤防があり離岸流も発生しやすいのでは」と警戒は怠らない。
東京都八王子市出身で、競泳を始めたのは小学生の時。高校時代には全国高校総合体育大会(インターハイ)の大舞台にも立ったが、度重なる故障に苦しんできたという。
日本大学に進学後の2010年5月、スイミングクラブの指導者から助言を受け、「競技と監視活動がある。タイムや順位の先に、人命を救える大きな目的がある」とライフセービングの世界に飛び込んだ。
九十九里浜で活動を始めた同年夏、忘れられない出来事があった。遊泳禁止エリアで男性サーファーが亡くなる水難事故があり、人づてに聞いた遺族の「海をもう見たくない」との言葉が胸に突き刺さった。
そんな思いを二度とさせたくない-。当時新人で救急車の要請といった補助的な仕事が主だった三井さんが、ライフセービング技術の向上により一層力を傾けるようになったのはそれからだ。「救助に男女は関係ない。主体的に動けるようにならないと、と自覚した」と振り返る。
翌11年の夏には、1人で遊んでいた小学校低学年とみられる男児を救助した。声を掛ける暇もなく深みにはまったが「急に深くなる浜辺と子ども1人の遊泳、という溺れる要素が重なっていた」。瞬時に体が反応したのは、緊張感と日ごろの訓練の成果だった。
昨年9月にオランダで開催された世界選手権にエントリー。400メートルを泳ぐ「スイム」、サーフボードに似たボードを使って600メートル進む「パドルボード」、カヤック状の乗り物で800メートルこぐサーフスキーの3種目を、走ってつなぐ「オーシャンウーマン」競技で日本人選手で初となる5位入賞を飾った。
ことし5月の全日本プール選手権でも、溺れた人に見立てたマネキンを担いで泳ぐ種目で日本新記録を更新するなど、25歳にはすでに第一人者の風格も漂う。
それでも、強調するのは「来場者に注意喚起や情報提供して事故を発生させないことが第一の仕事」。あくまでも競技は救助のためにあると言い切る。
「競技で注目されることで、(利用者が)海岸の危険な箇所を知って自分の身を守れるようになってくれればうれしい。究極は『ライフセーバーがいなくても平気なビーチ』。そのためにも結果を出していきたい」
■ライフセービング
水辺の事故を防ぐための監視や啓発に、人工呼吸や心臓マッサージなどの応急処置なども含めたさまざまな活動を指す。スポーツとしてのライフセービングは技術を向上させる目的で生まれ、海で実施されるオーシャン競技と、プールで水難救助を行うプール競技がある。