不発弾の現地爆破準備を進める陸上自衛隊不発弾処理隊員 =9日午前、那覇市宇栄原3丁目 画像を見る

 

那覇市宇栄原で不発弾の爆破処理が行われた9日、住宅街に「ドーン」という爆発音が広がった。現場は民家に挟まれ、アパートも立ち並ぶ住宅密集地。避難対象は約千世帯、約70事業所、計約2500人に上った。生活空間の間近で見つかった不発弾に、周辺住民からは「驚いた」「戦争がまだ続いているようだ」などと不安の声が上がった。

 

午前8時半すぎ、不発弾処理を知らせる広報車が区域内を走り、那覇市の職員が直接民家を訪問するなどし、避難を促した。徒歩で移動する人や家族連れで車に乗り込む人の姿が見られた。午前10時には区域内から人の気配が消え、交通規制が始まった。市職員や警察官らが近くを走る車両に回り道を指示した。

 

避難場所は小禄中学校体育館と高良共同利用施設自治会館。そのうち、小禄中には約20人が避難した。

 

午後3時3分。不発弾が爆破処理された瞬間、小禄中にも「ドーン」という音がかすかに届いた。爆発音を聞いた與那覇民子さん(74)=市宇栄原=は「許されない。沖縄戦はまだ続いているのかという気持ちになった」と語気を強めた。

 

市小禄に住む宮里常次さん(46)は避難区域対象外だが、爆破処理の影響が自宅にも及ぶのではと心配になり避難所を訪れた。数年前には自宅そばで不発弾の処理があったという。「小禄近辺ではもう見つかってほしくない」と不安げな表情を見せた。

 

避難時間帯、区域内に人がいたため、作業は数回にわたり中断された。終了時刻は予定から1時間ほど延び午後5時ごろまでかかった。市宇栄原の79歳女性は「作業時間が長すぎる。これでは何もできない」とうんざりした表情で話した。

 

避難区域内にある老人ホームやスーパーなど約70事業所は、利用者の避難や営業時間の変更などの対応に追われた。このうち老人ホーム「琉球」では、午前7時半から施設の車両や介護タクシーを何度も往復させ、車いす利用などの入所者31人が避難した。戦争体験者が多い入所者らは「戦争を思い出してしまう」「子や孫の代まで戦争の影響が残るのか不安」などと胸の内を明かした。

 

午前7時52分に今季最低の17・4度を記録した那覇市。「琉球」の入所者らは「今日は寒いね」と職員らに話し、毛布にくるまれるなどして介助を受けながら介護タクシーなどへ続々と乗り込んだ。

 

8歳の時に高嶺村与座(現・糸満市)で沖縄戦を体験した入所者の女性(82)は、母や祖父らを戦争で亡くした。その後、18歳だった姉も負傷して破傷風となり、防空壕の中で開かない口にキセルをくわえて震えながら「妹たちを残しては死ねない」と繰り返しながら息を引き取ったという。「戦争はどんなにむごいか。怒りが込み上げてくる。70年余がたってもまだ不発弾で避難しないといけない。どんなことがあっても戦争は嫌、基地も嫌だ」と強調した。

 

戦時中、大分県に疎開していた入所者の平良武雄さん(90)は9日朝、避難用の車両を待ちながら取材に応じ、今も不発弾が見つかる現状に「まだ戦争は終わっていない。戦争に逆戻りする感じがする。不安だ」と声を落とした。

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