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6月25日の陸上日本選手権・男子100mで優勝し、リオデジャネイロ五輪への切符をつかんだケンブリッジ飛鳥(23)。以前から彼を知る人は「彼はとにかく礼儀正しい人」と口を揃える。東京都江東区深川三中でケンブリッジの担任だった大原章博先生(現大田区立蓮沼中学校校長)は言う。

 

「都大会で2位になって、新潟で開催された全国大会に応援に行きましたが、予選で敗退してしまいました。でも彼は『先生、来てくれたんですね。ありがとうございました』と。負けた直後の態度として立派だと思いました。もちろん女子には人気がありましたよ。特に運動会では、下級生女子が大いに盛り上がっていましたね」

 

そんなケンブリッジは、母の手ひとつで育てあげられたという。「この五輪出場は母と彼の二人三脚で勝ち取ったようなものですよ」と大阪市立淀川中学校前陸上部顧問・山口忠広先生は語るが、“礼儀正し過ぎる”快足イケメンを育てた母親の教育法とは――。

 

彼が生まれたのは、93年5月31日。父親はジャマイカ人。日本人の母親は、当時、ジャマイカで仕事をしていたと山口先生は話す。

 

「綾戸智恵さん似のお母さんはマーケティングの仕事をしていて、モーレツな大阪の母ちゃんという感じでした。仕事でジャマイカに滞在中、そこで知り合った人と結婚し、飛鳥を産んだようです」

 

親子4人が住んだのは、大阪の中心部に近い都島区。ケンブリッジは14階建ての公団住宅から大阪市立淀川小、淀川中学校に通った。近所の主婦は「朝は子どもたちを学校に送り出した後、しっかりお化粧をして仕事に行っていました」と振り返る。小学校時代はサッカークラブに入っていたが、中学では陸上に転向。山口先生は「お母さんは当初から五輪が目標でした」と語る。

 

中学のひとつ上の先輩も、部活でのケンブリッジを見守る母親の様子を、こう話す。

 

「他の選手が休んでいるときでも彼は休まずローテーションどおり走るし、終わったあとの居残り練習もしていました。休みの日は、お母さんがべったりという感じで、練習も見ていました。それにこたえて彼も、あるときに記録がググッと伸びたんです」

 

みんなの期待がケンブリッジに集まるなか、中3に上がるとき、母親の仕事の都合で東京へ。陸上の強豪校と言われる深川三中に転校したケンブリッジは、既に進路を決めていたという。前出の大原先生は「進路相談で陸上を続けたいからと、陸上の名門・東京高校を志望していました」と語るように、インターハイで団体優勝を飾る東京高校に入ってからもケンブリッジは自分に厳しく競技に取り組んだ。

 

「陸上選手は結果を出せばいいだろうと、案外チャラチャラしたのが多いんですが、そういうところがありませんでした。お母さんがしっかり育てていたからでしょう」(東京高校・小林隆雄先生)

 

高3のときに200メートルでジュニア日本一に輝いたケンブリッジは、日大に進学。ここで母親は作法指導の総仕上げともいえる計画を実行する。強豪選手を輩出するジャマイカでの武者修行だ。

 

「彼は大学時代に短期間、ジャマイカでトレーニングをしたようですが、ほとんど母親が段取りしたそうです。滞在していた時代の知り合いをたどってということでした。ボルト選手が所属するレーサーズ・トラッククラブで練習したときは、ボルト本人は不在でしたが、世界歴代2位のヨハン・ブレーク選手たちと練習をして体格の差を痛感し、体重を5キロ増やしたそうです」(中学時代の先輩)

 

トップ選手と交流させた母親のプロデュースは大成功。帰国するとケガが多かった体質も改善し、大学在学中から自己記録を更新し続け、日本のトップに立つまでに成長したのだ。8月の五輪本番、日本中の期待を一身に背負い、ケンブリッジは母親とともにリオへと羽ばたく――。

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