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9月下旬の女子フィギュアジュニアグランプリシリーズ第5戦スロベニア大会で、女子史上7人目となるトリプルアクセル成功を成し遂げた紀平梨花(14)。“ポスト浅田真央”の呼び声も高い彼女、いったいどのように育ったのだろうか――。

 

「いつも子どもたちのことを第一に優先する。そんなご両親ですよ」と語るのは、紀平を幼少期から知る女性。中学1年生だった昨年まで、紀平は兵庫県西宮市にある一軒家で暮らしていたという。近所に住む前出の女性が続ける。

 

「フィギュアといえばお金がかかると言われますが、お父さんは普通のサラリーマンでお母さんも働いています。家も普通の一軒家でしたし、梨花ちゃんも公立小学校に通っていました。ごくごく普通の家庭ですよ」

 

当初は市内のスケートリンクに通っていたが、紀平が頭角を現すと大阪高槻市内にある関西大学アイスアリーナへ通うように。その陰には、母の奮闘があった。

 

「お母さんは毎朝3時までに起きて、家族の朝ご飯を用意していました。朝5時には梨花ちゃんを車に乗せて大阪のリンクまで朝練へ。そのあと学校が始まる時間までに戻って、放課後になると再びリンクへ送る。帰りはいつも22時すぎでした」(前出・知人女性)

 

そして母は、娘を送迎するために自分の仕事も変えてしまったのだ。

 

「お母さんは正社員としてフルタイムで働いていたのですが、『これだと送り迎えができないから』と言って退職を決意。融通の利く仕事にシフトしたんです」(前出・知人女性)

 

さらに、一家は娘のためにマイホームまで手放してしまったという。

 

「梨花ちゃんが地元の公立中学に入ると、自宅から学校までの距離がすごく遠くなってしまいました。するとご両親は住んでいた一軒家を売り払い、通学とリンクに通いやすいところへ引っ越してしまったんです。お父さんは『僕は会社から遠くなってしまったのですが、子どものために頑張ります……』と言っていました(笑)」(前出・知人女性)

 

どうしても母が送って行けないときは近所に住む祖父が送迎を担当。家族ぐるみで支えてきた。そこには、紀平家のある考え方があった。

 

「ご両親は習いごとを勧めず、子どもが『やりたい!』と言うまで黙っていたそうです。やりたいことが出てきても、本気かどうかしばらく見極める。あくまで本人の気持ちが大切と考えて『やめたければやめればいい』とも言っていました。だからこそ気持ちが変わらなかった梨花ちゃんを、本気でサポートしようと思ったのでしょう」(前出・知人女性)

 

紀平は今大会でみごと優勝し、ジュニアグランプリファイナル出場を決めた。フィギュア界に押し寄せる次世代の波。その中心で、彼女は世界の頂を目指す――。

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