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(写真:アフロ)

 

「『負けたかな』と思ったので、信じられなくて……まだ実感がわきません」

 

2月24日に行われた3位決定戦。イギリスとの激闘を制し、銅メダルを手にしたのは、女子カーリング日本代表「LS北見(=ロコ・ソラーレ、以下LS)」。快挙を達成したチームの司令塔・スキップを務める藤澤五月(26)は試合後のインタビューに応じ、笑顔でこう答えた。前日の準決勝では、1点差で惜敗。「最後はベストを尽くしたい……」と思わず悔し涙を流していた藤澤。そんな彼女に、主将を務めた本橋麻里(31)はいつも笑顔を向けていた――。

 

平昌五輪が開催された約2週間のうち、カーリングは10日間以上テレビで生中継された。なかでも注目を集めたのは、試合中に彼女たちが「どこにストーンを投げるか」という戦術を練る肉声。作戦会議中に飛び交う「そだね~」という相づちの声は、有吉弘行ら多くの芸能人もSNSの投稿のネタにするほど話題にあがった。

 

「LSは、チーム全員が北海道北見市出身です。そして北見市のなかでも、市内の沿岸部に位置し、『日本カーリング発祥の地』とされる常呂町にゆかりの深い選手たちばかりなのです。マイクを通じて『そだね~』などの“北海道訛り”が放送され、そのかわいさに注目が集まったようです」(スポーツ紙記者)

 

5歳からカーリングに触れながら育ったという藤沢も、父親は常呂町出身。LSを8年前に結成し、今回の快挙まで導いたのは、本橋だった。’06年トリノ五輪に「チーム青森」のメンバーとして初出場。“氷上のアイドル”として注目された彼女は、’10年バンクーバー五輪出場後の8月、チーム青森を脱退し、LS結成を発表した。

 

本橋の所属会社「NTTLS」の元マネジメント担当・近藤学さんが、LS旗揚げの当時を振り返る。

 

「青森市のバックアップを受けたチーム青森は、資金や、選手の所属する地元の企業に恵まれていたにもかかわらず、バンクーバー五輪で8位という結果に終わった。本橋と私は、『どうしたら世界に勝てるのか?』を模索していました。そこで彼女が出した結論が、『北海道、しかも故郷の常呂町に戻りたい』というものでした」

 

そんな決断を本橋が下したのも、カーリングという競技が“髪の毛一本の差で勝敗が決まる”と言われるほど繊細だからだと続ける。

 

「チーム青森は、全国各地から強豪を集めた。でも、それはあくまで“寄せ集め”だったんです。カーリングに最も重要なのは、チームワークを超えた『意思の疎通』『阿吽の呼吸』。そのために、“生まれ育った故郷で、気心の知れているコたちで旗揚げするしかない”と考えたのでしょう。それこそ本橋は北見市で、選手の所属会社を探すための地元企業の訪問からスポンサー探しまで、走り回っていました」

 

旗揚げ当時から現在まで在籍し続けているのは、今大会でも大きな活躍を見せた鈴木夕湖(26)と吉田夕梨花(24)。そして’14年に吉田の姉・知那美(26)、’15年に藤澤が加入した。加入当時について、藤澤は本誌にこう語った。

 

「私は当時、中部電力に在籍していたんですが、選手としての結果を出せず、苦しい時期を過ごしていました。『はやく故郷(北見市)に戻りたい』と思っていたとき、声を掛けてくれたのが、麻里さんだったんです」

 

本橋も、藤澤らをスカウトした当時の心境についてこう漏らした。

 

「(吉田)知那美もさっちゃん(=藤澤)も、私が直接スカウトしました。チームに新風が必要と思っていたし、それぞれの場所で“悔しい思い”をしてきたコの力が絶対必要だと思っていたんです」

 

中部電力時代、藤澤はソチ五輪への夢が絶たれ涙を見せていた。次の平昌こそは出場し、結果を出したい――。そう願う藤澤を司令塔に置き、LSの闘いが始まったのだ。

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