「大輔に電話で『西日本選手権は観に行くからね』と伝えたら、あの子は『うん』と答えました。続いてケガのことが心配で『大丈夫なの?』と尋ねたのですが、断言できなかったみたいで。『うん、大丈夫……でしょう』と少し間を空けてからつけ加えていました」
そう語るのは、高橋大輔(32)の母・清登さん(68)だ。西日本選手権で合計244.67点を叩き出し、復帰後初優勝を果たした高橋。同大会は年末に行われる全日本選手権への出場が掛かった“大一番”。その直前、母は挑戦を続ける息子に“エール”を送っていたという。
今年7月、高橋は引退から約4年ぶりの現役復帰を発表。その際に彼は、「全日本選手権の最終グループに残ること」を目標に掲げていた。しかし8月中旬に左足の肉離れを起こし、治療のためアイスショーを欠場。その後も満足に練習できない時期が続いた。
10月の近畿選手権でも、高橋は惨敗。32歳での現役復帰は、想像以上に過酷だった。だが彼がそこまで打ち込むのには、理由がある。実は清登さん、これまで一度も高橋の試合観戦の機会に恵まれなかったのだ。
高橋家は、決して裕福な家庭ではなかった。理髪店の従業員として働き、息子を育ててきた清登さん。試合観戦のためには、店を休まなくてはならない。過去に2度、チャンスはあった。だが、いずれも観戦は実現しなかったという。
「11年の世界選手権は東日本大震災の影響で、開催地が東京からモスクワに変更してしまったんです。14年にさいたま市で行われた世界選手権は最後の試合になるかもしれなかったので、『今度こそ』と一家総出で準備をしていました。しかし大輔はケガで欠場し、その年に引退を決断。結局、観戦は叶いませんでした。だから、今回の現役復帰は嬉しかった。諦めていた大輔の公式戦を観に行くチャンスができたのですから……」
お金が掛かるフィギュアを息子が続けられるよう、ずっと働きながら支えてきた清登さん。中学時代まで大会での衣装は、すべて母の手作り。高校時代までスケート靴は一足だけを大事に使い、破れたときは清登さんが必死に繕ってくれる職人を捜し回った。そんな母に一度でいいから、大会で滑る姿を見せたい――。その約束を果たすべく、高橋は奮起していたのだ。決意のなかで行われた西日本選手権は、親子にとって特別な意味を持っていた。
「全日本選手権が行われるのは年末。その時期はお店がすごく忙しいので、休んで見に行くことができないんです。来年も現役を続けてくれるなら機会があるかもしれませんが、ここが最初で最後になるかもしれない。だから行くなら今しかない。そう思って、今回の西日本選手権を観に行くことにしました。しかも実は、ショートが始まる11月3日は私の68歳になる誕生日だったんです。大輔が頑張っていい滑りを見せてくれたら、それが一番の誕生日プレゼントになるなと思って……」
そんな母を前に、氷上で華麗に舞った高橋。清登さんの言葉通り、何よりの誕生日プレゼントとなったことだろう。