4年のブランクを経て“闘いのリンク”に戻った高橋大輔選手(32)。復帰会見で目標に掲げたのが、全日本フィギュアスケート選手権(12月20日~24日・大阪)の上位6人、最終組に残ることだった。専属トレーナーの渡部文緒さん(44)はこう振り返る。
「復帰後に初めて、大輔の滑りを見たり、筋肉を触ってみたときは、正直かなり厳しいなと思いました。でも、この1年、大輔は泥くさく、ひたむきに頑張ってきたのです」
渡部さんは、高橋が19歳だったときから専属トレーナーとして、トレーニングメニューを考えるだけでなく、体のケア、ウオーミングアップなどをサポートしてきた。
シーズン全休となった’08年の大けがや、’10年のバンクーバー五輪の銅メダルなど、どん底と絶頂をすべて共にしてきた戦友だ。
’14年のソチ五輪後に現役を引退し、キャスターやダンサーとして活躍していた高橋が、渡部さんに現役復帰を告げたのは、ちょうど1年前。’17年の全日本選手権の会場だった。そして再び歩き出した選手とトレーナー。本格的な再始動は、すでに決まっていた高橋の仕事が片付いた’18年4月のこと。
「トレーニングを再開して、気がかりだったのは、フィギュアでもっとも重要な体の中心軸がブレていたことと、バランス感覚が低下していたこと。彼の演技の魅力である表現力やステップワークには両者が必要不可欠なのです」(渡部さん・以下同)
“闘う体”を取り戻すためには、高橋に現実を自覚させることも大事だったという。
「いすに座った状態から片足で立ち上がらせると、バランス感覚の低下や中心軸のブレがわかります。現役時代にはスッと立ち上げれたのですが、そのときの大輔はふらつきながら、鏡に映る自分の姿を見て、『こんな簡単なこともできなくなっちゃったんだね』と落胆していました」
ゼロからの体づくりが始まった。
「体の中心軸を整えたり体幹を鍛えたりするのは、地味で根気がいる。でも、大輔はいちずに取り組んでいました。夏前には体重移動がスムーズになり、ひねりの動きにもキレが戻ってきました」
手ごたえを感じた高橋は、7月1日に復帰を宣言する。だが、その直後、高橋の背中を激痛が襲う。生まれて初めてのぎっくり腰だった。さらに、8月には練習中に左足の肉離れを起こす。4年ぶりのハードトレーニング。32歳になった体が悲鳴を上げた。
「昔よりも、疲労の回復も遅くなっていた。でも、気持ちはこの4年で成熟していたんでしょうね。以前はいら立ちなどを見せることがあったのですが、今回はまったくありませんでした。体力や技術面で思いどおりにならないことがあっても、一つ一つの課題をクリアしていくことで、“できること”の喜びを感じているようでした。大輔は『失敗しても、今はスケートをするのが楽しい』と口にしていましたが、若いときにはあまり聞いたことはない言葉です。フィギュアから離れたからこそ、実感できたことかもしれませんね」
そして、渡部さんはこう続ける。
「現役時代の大輔は、つねに勝たなければいけないというプレッシャーの中で滑ってきました。そのせいか、以前は、“競技をやらされている”というふうな時期もあったはずです。でも今は、氷の上にいるのが本当に楽しくてたまらないというように見えます」
復帰会見で、「これまでとは違う、新しい高橋大輔を見せたい」と語った高橋。“大ちゃんスマイル”が日本最高峰のリンクで輝く。