「努力の子どもでした。今の体を作ったのも、小さいころから少しずつ努力してきた積み重ねなんです。昔の写真を見るたびに『このころはこんな努力をしていたなあ』と思い出しますね」
アルバムをめくりながら、目を細めてこう語るのは貴景勝(22)の母・純子さん(52)だ。先日行われた大相撲三月場所で10勝を果たし、大関昇進を決めた貴景勝。初土俵から28場所目での昇進は異例のこと。小兵ながらも快挙を達成した新たなホープの誕生に、日本中が熱狂している。そんななか“美人すぎる母”として話題の純子さんが、本誌の独占インタビューに応じてくれた。
兵庫県芦屋市で、教育関係の理事を務める父・一哉さん(57)と純子さんの間に誕生した貴景勝。生まれたときは2,900gの小柄な少年だった。そのため純子さんは当初、“教育ママ”として勉強に力を入れようと考えたという。
「生まれる前から幼児教育プログラムの教材を買って準備していました。胎教にいいCDや赤ちゃんに見せると頭の回転がよくなるフラッシュカードなどがセットになったものです。私はあの子に1つでもいいから人より秀でた部分を見つけ、それを生かして社会に貢献してほしいと思っていました。そして、そのためには勉強がいちばんだと信じていました。しかし、主人は息子の才能や性格から『この子に勉強だけさせるのはもったいない。スポーツをさせたい』と言い出したんです。あのころは教育方針を巡って夫婦の意見もよく対立しました」
だが両親どちらの期待にも応えるべく、貴景勝は兵庫県の名門私立・仁川学院小学校に進学。ハードな文武両道生活を送っていた。
「小学校1~2年生のころは3つの塾に通っていました。さらにスポーツも空手に水泳、サッカー、体操、柔道、相撲と6つも習っていたんです。今思うと、かなりのプレッシャーになっていたと思います……」
わずか8歳ほどの少年が、習い事を9つも掛け持ち――。そんな生活を長く続けられるはずもなかった。
「あの子が小2のときに、空手の猛稽古で勉強がおろそかになったことがあったんです。ふがいないテストの点数を見るのが嫌だった私は、息子をひどく叱ってしまいました。でも、スポーツもおろそかにできない。そのストレスから次第に体調不良を訴え始め、しまいには不眠にもなってしまったんです……。そのときに初めて『これは限界だ』と気づきました。だからもう私の希望はここで引っ込めようと思い、通っていた塾もすべてやめさせることにしたんです。そうすると私自身も、まるでつき物が落ちたみたいに優しい母親でいられるようになりました」
“教育ママ”の呪縛から解き放たれた純子さん。貴景勝も余裕ができたことで、元気を取り戻していった。
「スポーツについても向いていないものを見極めていきました。結果、残ったのが相撲だったんです。主人と手分けをして、尼崎にある道場まで毎日往復1時間以上かけて送り迎えする生活が続きました。合同稽古があるときは大阪まで送ることもありました。ずっと食べることに興味のない子だったので、体を大きくするのにはかなり苦労をしました。本人も食べなくてはならないとわかっているのに、体が受けつけないのです。だから『口に放り込んでくれ』と頼んできて、私が無理やり口にねじこむように食べさせたりしていました」
そうした努力の結果、みるみる力をつけていった貴景勝。純子さんは子育てで大切なことについて、こう語る。
「何が子どもに向いているか、見極めてあげることが大事なんだと思います。子どものことをいつもちゃんと見てあげて、『これが得意なのかな、苦手なのかな』と気づいてあげることです。そうやって得意な分野に集中させてあげないと、何もかも中途半端になってしまいますからね」
息子の努力を見守り続けた純子さん。現在も、その陰ながらのサポートは続いている。
「LINEでのやり取りはよくしています。でも『相撲頑張れ』とか、負担になるようなことは送りません。『今日は○○さんが応援にきてくれたよ』とか、読んで和むような内容にしています。ただ連絡しても、ふだんは『わかった』とかそっけない返事が多いんです……」
しかし貴景勝は、テレビのインタビューで母親についてこう語っていた。
「ちっちゃいときから母親は、相撲に関して首を突っ込んできませんでした。自分のために食事をつくってくれたり、洗濯してくれたり……。外に出ればわかることなんですけど、当たり前と思っていたことが今振り返るとありがたかったなと感じています」
ふだんは恥ずかしくて、面と向かって感謝の気持ちは言えないかもしれない。だが母の献身は、しっかりと息子にも伝わっていた――。