「父は私たち家族だけの父でなく、みんなの監督であり、父でした。“心配性で誰に対しても優しい、みんなの父”――その一言に尽きます」
’00年シドニー五輪陸上女子マラソン金メダルの高橋尚子(46)らを育てた“名伯楽”として知られる小出義雄さんが、4月24日午前8時5分、千葉県浦安市内の病院で、肺炎のため80歳で亡くなった。
悲しみの中、小出義雄さんの長女・由子さん(46)が、闘病中の様子を本誌に語ってくれた。
「3月26日から入院して、調子がよくなったり、悪くなったりの繰り返しでした。最初は一般病棟でしたが、心臓の病がもとで腎臓、肺などにも影響を及ぼし、途中から集中治療室(ICU)に移りました。後半はずっと体調が悪かったですね」
亡くなる前日の4月23日まで毎日会っていた由子さんだが、その日は「もう厳しい状態」だったという。
「会話ができたのは、亡くなる3日前まで。入院当初は『誕生日(4月15日)まで生きられるかね~』って、父は冗談を言ったりしていたんです。無事に誕生日を迎えることができたときは、家族みんなで喜んだんですけどね」
ちょうど1週間後の4月22日は、小出義雄さんの妻・啓子さん(68)の誕生日だった。
「父に『今日はお母さんの誕生日だよ』って伝えたときは、もううなづく程度しかできませんでした。でも、その2日ぐらい前まで話ができていたので、母にこれまでの感謝の気持ちをしっかりと伝えていましたね。そして私たち娘3人に、『お母さんの誕生日には、俺の代わりにデパートに行って絶対にアクセサリーを買ってあげて』と。その後、『自分たちも好きなものを買ってきていいよ』と言ってくれました」
入院中は指導した教え子たちが、たくさんお見舞いにやって来た。その度に、
「父は『俺が死んでも、絶対に泣くんじゃないぞ! 演歌でも聞きながら、みんな酒でも飲んで笑ってよ~』って(笑)」
亡くなった翌日、千葉・佐倉市内の自宅には、高橋尚子が弔問に駆けつけた。高橋は約1時間、小出義雄さんと対面した後、報道陣の前で涙をぬぐいながら、「今までの御礼と一緒に歩んできた思い出をお話させていただきました」と語った。
「Qちゃんは父の顔を見ながら、2人の思い出を語っていましたね。でも、気を遣ってすぐに帰ろうとされたので、私たちが『もっとゆっくりしていって』とお引き留めしたんです。それでお茶を飲みながら、家族と一緒にまた思い出話に」
高橋は、小出義雄さんが入院する病院に何度も足を運んだ。そして必ず「手紙」を持参した。
「7~8回はいらしてくださったと思います。会えなくても手紙だけでも渡したいとおっしゃって。父が自分で読めない状態のときは、Qちゃんが帰った後で、私たち家族が読んで父に聞かせていました」
手紙には「もっともっと話がしたいから、絶対に戻ってきてくださいね」といった激励のメッセージが書かれていた。
「一度、父が『Qちゃん、最後に一度手紙を読んでくれよ』って頼んだことがあったんですが、Qちゃんは『ほんとに最後になったらイヤだから』と……。
弔問に来ていただいたときにその話題になって、Qちゃんは告別式で手紙を読むと言ってくれました。父の“最後に……”は告別式のことだったのかもしれませんね。
家族みんなで『最後に夢って叶うんだね~』って、話をしました」
小出義雄さんとQちゃんの師弟の絆は、いつまでも――。