「120%でも勝てない」道を探し続けていた引退時の高橋大輔

みんな彼から目を離せなかった。その華麗な演技に、飾らない笑顔に、失意の涙にさえ、人々は魅了され続けた。希代のスケーターの挑戦を間近で見守ってきた男が明かす高橋大輔――。

 

「もしかしたら、アイスダンスやるかもしれません。もうすぐ決断します」

 

今年6月、大阪のレストランで、まるでそうすることが当り前だったかのようなごくごく自然な表情で“大ちゃん”はそう明かした。突然の告白に、関西テレビのプロデューサーの居川大輔さんは心底驚いたが、同時にこう思った。

 

――大ちゃんらしい。彼はまだ挑戦しようとしているんだ。

 

12月19日に始まる全日本選手権で、男子シングル選手としてのキャリアにピリオドを打とうとしている高橋大輔選手(33)。13年にわたって密着取材を行い、それをまとめた『誰も知らない高橋大輔』(KADOKAWA)を出版した居川さんが、高橋との日々を振り返った。

 

’10年のバンクーバー五輪で、高橋は日本男子初の銅メダルを獲得。続く世界選手権では、当時の世界最高得点で、日本人初の金メダルに輝く。名実ともに、世界のトップスケーターとなった高橋だったが、人知れずもがき苦しんでいた。次の目標はソチ五輪での金メダル。でも、4年という月日はあまりにも長すぎた。

 

「試合で結果は出ているけど、モチベーションがあがらない。練習後に話を聞いても、目はうつろで返答がなかったり、カメラの前を無言で過ぎ去ったり……それまでにない対応でした」

 

後に振り返って、「当時は(自分から)逃げていたのかなぁ」と高橋は居川さんに語っている。

 

’12年、いったん離れていたニコライ・モロゾフ氏がコーチに戻ったことが起爆剤となり、モチベーションが復活。すぐに成果が表れ、グランプリファイナルで優勝を果たす。

 

だが、ふたたび試練が彼をおそう。羽生結弦選手(25)の台頭だ。

 

「’12年の全日本選手権。ショートプログラムでの得点は伸びませんでしたが、フリーのオペラ『道化師』で会心の演技を見せて、観客も総立ち、本人もガッツポーズでした。それでも、羽生選手には勝てなかった」

 

居川さんは、これが「分岐点」だったと分析する。

 

「120%できても、優勝できない事実に、『どうしたらいいんだろう』と、再び自分を見失ってしまったようでした」

 

翌’13年、けがを押して出場した全日本選手権でまさかの5位。ソチ五輪では必死の演技で6位入賞する一方、羽生は日本人初の金メダルに輝く。男子フィギュアのトップの座は完全に羽生結弦のものになった。

 

「いろいろな経験をこれからするだろうけど、全部吸収して、もう1つ、2つ大きくなってほしい」

 

そんなエールを羽生におくる高橋を見て居川さんは“そのとき”が近いことを予感していた。’14年10月、高橋は引退を発表する。

 

次の人生へのステップのため、アメリカ留学を決めた高橋。居川さんは、高橋に黙って、サプライズで伊丹空港へ駆けつけた。

 

「空港には報道陣はいなく、本当に仲のいい友達が数人見送りに来ているだけ。僕を見つけると、『どうしたの?』と驚いていました。彼のドキュメンタリーをDVD化したところ、ヒットしたので、記念のマグカップを作った。それを『アメリカで使って』と手渡したかったんです」

 

帰国後は、高橋が出演するアイスショーに居川さんは時々顔を出した。一緒に食事をしながら、ショーの感想を伝えても……。

 

「『ぜんぜんダメ、手も短いし』とか、言うんです。『いや、カッコよかったで』と伝えても、『やめてやめて、全然できてない!』とか。何千人が彼を見に来ているのに(笑)。引退後、彼はきっと自分探しを続けていたんだと思います。でも『見つかっていないんだろうなぁ』、とは感じていました」

 

「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載

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