「女性自身」2009年7月21日での故・沙知代夫人との対談より。 画像を見る

プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任した野村克也さんが2月11日に死去した。死因は虚血性心不全で、84歳だった。選手・監督として、球界に大きな功績を残した野村さんを悼む声が溢れている。

 

《ノムさんお疲れさまでした。心よりご冥福をお祈り致します》
《野村克也がいなければ、日本の野球は十数年遅れていただろう。偉大な、偉大なレジェンドに心からの敬意を示します》
《またひとりプロ野球界の至宝が旅立たれた… もうあの愛あるボヤきが聞けないと思うと寂しいです。沙知代さんと逢えましたよね。優しい笑顔、忘れません》

 

野村さんは54年にテスト生として南海ホークスに入団。65年には戦後初の三冠王を達成した。73年には選手兼監督として、チームをリーグ優勝へ導いた。その後はロッテオリオンズ、西武ライオンズで捕手として活躍し、45歳まで現役を貫いた。引退後、89年に東京ヤクルトスワローズの監督に就任。データを重視した「ID野球」でチームを改革した。その成果としてリーグ優勝4回、日本一に3回という結果を残した。

 

野村さんといえば、愛妻家でも有名だった。78年に妻の沙知代さん(享年85)と結婚し、沙知代さんが17年に逝去するまで連れ添った。

 

09年7月には、本誌に登場してくれた野村夫妻。沙知代さんは野村さんの好きなところを、こう絶賛していた。

 

「健康で、よく働いてくれるところね。一家の主は健康でよく働いてくれる――これが奥さんにとっては最高のプレゼントだから」

 

また、野村さんも沙知代さんを「料理上手」と絶賛。「(沙知代さんの作る)ローストビーフは手が込んでいるから愛情を感じるんだよなぁ」と明かしていた。

 

「沙知代さんは野村さんの携帯電話を5台も壊すほど、破天荒な言動で有名でした。ですが、野村さんは『強くて正直な女』と評していました。それゆえ、『沙知代さんのような人物のお眼鏡にかなう方が幸せだ』とも語っていました」(スポーツ関係者)

 

天国で沙知代夫人と再会しているだろうか――。

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