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「昨年19年で《勤続20年》になりました。選手時代は《人事局所属》でしたが、競技に専念させてもらっている恵まれた環境でした。13年3月に引退発表し、4月1日から会社の業務が100%という勤務体系で働き始めたんです。競技しかやってこなかった自分が、イチ社会人として働いていけるのかな、という不安が大きくありました」

 

’98年に長野オリンピック・女子モーグルで金メダル獲得、’02年ソルトレークでも銅メダルを獲得した里谷多英さん(44)。輝かしい成績を収めてきた第一人者だが、現役時代の途中からフジテレビ社員としてのキャリアもスタートしている。大学卒業後の’99年入社だ。

 

そして、選手引退した’13年4月から、他の社員と同じようにフルタイムで事業に専念するための“新人研修”を36歳でスタートしている。

 

「自分からの配属の希望などなく、とにかく《会社にフルタイムで通って働きたい》という思いで人事の配属にお任せしようと。新人研修は、その年の新入社員と一緒にやりました。バイト経験さえそれまで皆無でしたので、知らないことばかりで恥ずかしかったですね。周りを見渡しても、なかなか36歳で新人っていないじゃないですか。大変なことだと思ったんですが、実際わからないことだらけ……」

 

そんななか、選手時代に培ったメンタル・タフネスがはやくも発揮される。

 

「電車通勤さえ、なかなか慣れませんでしたよ。オフィスでは、わからないことをノートに書き留めていたのですが、あるときコピー機の上に忘れてしまって、それがいつのまにか、机の上に届けられていた。ほかの人からしたら聞かなくてもわかるようなことを書き連ねていたからか、『これは、里谷のだ!』とすぐバレていたのでしょうね。

 

でも当時の私は、言われる用語がほとんどわからない。たとえば《ゲネ》ってなんだ? みたいな。《ゲネプロ》っていわれてもわかんないし《リハーサルのことだ》と言われて、ようやくわかるレベルですから。いまはネットもスマホもあるので、こっそり調べることもアリですけどね……」

 

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