「このコロナ禍の中、私が動くことによって、多くの人が移動し集まる可能性があり、その結果として感染リスクが高まる可能性もあります」
そう、フィギュアスケートGPシリーズへの欠場を発表した羽生結弦(25)。理由として、自身がぜんそくを抱えていること、渡航制限でカナダでの調整やブライアン・オーサーコーチ(58)の来日が難しいこと、周囲への影響を挙げた。
そんな苦渋の欠場決断を下した羽生結弦の、GPシリーズ10年間の進化の軌跡をプレーバック!
■’10年「GPシリーズ初出場」
15歳で初めて出場したNHK杯。「体力面で足りないことを実感した」と悔しい4位。
■’11年「ロシア大会で初優勝」
自身も経験した、東日本大震災の被災者へ「少しでも力になれたら」と意地の初制覇!
■’12年「SP世界歴代最高点を更新」
「練習の成果が表れた」と4回転を含む3種類のジャンプを成功。2大会連続で記録を更新した。
■’13年「ファイナルで初優勝」
当時の世界王者パトリック・チャンを破り、歴代2位の高得点で優勝を果たした。
■’14年「ケガをしながらも……」
練習中に中国選手と衝突。負傷したままフリーを滑り切り、2位に。得点発表後、目には涙が。
■’15年「世界初の300点超え!」
NHK杯でたたき出した世界最高得点に思わず喜びを爆発! SPでは2種類の4回転を決め、出来栄え評価で3点満点。「常に1位であり続けたい」と王者へのこだわりを見せた。
■’16年「史上初の4連覇達成」
偉業を達成しても「反省だらけ。かなり多くの課題が見つかった」とストイックさは健在。
■’17年「戦友たちと集合写真を!」
ロシア杯エキシビション。後ろの方にいた羽生を、イタリア選手が持ち上げセンターに!
■’18年「フラワーボーイとの友情♪」
1年前、同大会で絵をプレゼントしてくれたフラワーボーイと再会。心温まる光景が話題に。
■’19年「渾身のフリーは惜しくも2位」
GPファイナルで、2位からの逆転をかけて挑んだフリー。演技終了後も立ち上がれないほど全力を出し切った!
例年なら、9月のオータムクラシックからシーズンを始動し、10〜11月にGPシリーズ2大会、12月にGPファイナルという流れ。今年、出場を期待できるのは12月に行われる全日本選手権のみに。
毎年進化する演技を魅せていた試合への欠場は、本人にとっても苦渋の決断だ。また輝く姿を見られるのはいつになるだろうか……。
「女性自身」2020年9月22日 掲載