■「このご恩は一生忘れません」
「水谷選手にとって、ベストな状態にするため、今回の五輪ではこまめに連絡を取りあい、試合の時間帯にあわせて、レンズの装用時間を微妙に調整するよう指示しました」
決勝の前日も、三井さんは水谷本人にオサートレンズの装用時間を伝えたという。
「決勝進出が決まり、装用時間を相談するメールが来たので、決勝戦は夜だから一晩めいっぱい付けましょうと伝えました。決勝を目前にひかえた彼から『このご恩は一生忘れません』と嬉しいメールが届きました」
同じ静岡県出身の三井さんと水谷はコロナ禍前には一緒に食事することもあったそう。
「水谷選手が当時幼稚園に通う娘さんを連れてきたことがありました。彼はいつもと全く違う表情で娘さんにデレデレでしたね。娘さんは誰とでもすぐに打ち解けて物怖じしないタイプ。『おじさん一緒にゲームしよう!』とせがんで来るんですよ。卓球もやっていると言っていました」
水谷は主治医の強力サポートで、自らの視界だけでなく日本のモヤモヤも晴らしてくれたのだ――。
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