■SPで痛恨のアクシデントの直後、フリーの構成の難易度をアップ。常に挑み続けた
「アクセルジャンプを大好きでいられることに感謝しながら、4回転アクセルを目指したい」
平昌五輪後、初めて公に4Aへのチャレンジを表明した羽生。
同じく、この時期から、平昌でのSPで全ジャンプを失敗した雪辱を誓ったライバルのネイサン選手の快進撃が始まる。アクセル以外の4回転ジャンプを自在に操り、平昌以降は羽生にも負け知らずだった。ほかの選手たちもこぞって4回転に挑み、男子フィギュアは新たな時代に突入していた。
羽生は、わずか半年の間に1千回以上も4Aを跳び、幾度となく氷の上に体を打ちつけたという。その完成への進捗状況を聞かれ、こう答えた。
「8分の1回れば立てますね、間違いなく」
一方で、その1秒にも満たない“8分の1”が実は大きな壁となって立ちはだかる現実を、のちに突き付けられることとなる。
昨年12月の全日本選手権、羽生はフリーの冒頭で4Aに挑んだ。しかし、このときは両足着氷の回転不足と判定され認定には至らず。
羽生が4Aに挑む意義について、フィギュアスケート評論家の佐野稔さん(66)は、
「4回転アクセルというのは、同類のジャンプとなると、もう5回転になるんです。つまり、4Aを成し遂げることによって、5回転時代の幕が開くはずでした。その前人未到のジャンプを、史上初めてISU(国際スケート連盟)の舞台で成立させる。それが羽生君のモチベーションになっていたのでは」
世界選手権メダリストで解説者の本田武史さん(40)は、4Aの壁が高いからこそ羽生の負けじ魂に火がついたのだと語る。
「基礎点などを考えると、一段下のルッツより1点しか高くなく、試合に入れるにはリスクの高すぎるジャンプ。そんななかで、結弦が4Aにこだわったのは、現時点で跳べるのが『彼しかいないんじゃないか』という期待感を背負っていたからじゃないでしょうか」
羽生が少年のころからずっと大切にしてきた美学について、佐野さんは端的に「完璧」と表した。
「ジャンプも、滑りも、そのときの自分が思う完璧を目指すところ。そのために何ができるかを突き詰めて考え、実践しているのだと思います」
同じ問いに、スポーツジャーナリストの野口美惠さんは「犠牲」という言葉で答えた。
「自分の体力も能力も何もかもをも使って、1%も余力がないところまで努力する人。あの体つき一つを見ても、お母さまを見てもスラッとした方ですから、体質もあるのでしょうが、それを常に維持するというのは、やはり努力して作っているわけですよね。彼が多くを犠牲にして何に挑んでいるのかといえば、順位などではなく、フィギュアスケートという競技そのものに勝つことを目指しているのかなと思うんです」
実は今回、SPで痛恨のアクシデントに見舞われ8位となったあと、羽生の提出したフリーのスタートリストに、昨年末の全日本選手権のフリー構成から、2カ所の変化があった。3回転ループを3回転フリップに変更するなど、ジャンプの難易度を上げると同時に基礎点アップが図られていたのだ。SPの結果に周囲が動揺するなか、彼自身は守りに入らず、己れの限界に挑み続けた。この姿勢こそが、彼の美学ではないだろうか。
また、SP翌日の公開練習の終盤では、4Aを試み何度も転倒する光景があった。翌日の決勝本番を考えれば、疲れないよう体力を温存する作戦もあったと思うが。
そして迎えた10日のフリー。結果は4Aで転倒してしまったが、どんな逆境にあっても諦めず、天運に挑むように跳び続けた姿は、見た人すべてにスポーツの枠を超えた貴い感動をくれた。
競技後、ISUが、羽生の北京五輪での4Aを世界で初めて認定したことが発表された。