■「芸術家になりなさい」と伝えたことが現実に
これほど気にかけていたにもかかわらず、北京五輪前後に都築さんは羽生に連絡をとらなかった。
「過去の2回の五輪のときは、前後にメールを送っていたんですよ。『もう近いから頑張ってください』とか『頑張ったね』『ありがとう』とか、そんな短い言葉です。でも今回は、ただ見守っていたいなという気持ちでした」
個人的な連絡はしていないが、テレビ番組を通じて、師弟の対面はあった。特番(TBS系『北京オリンピック 総集編』)で、羽生へのサプライズメッセージとして都築さんの映像が流れた。
《結弦、ご苦労さまでした》
映像に都築さんが登場すると、
《たこちゃん!》
羽生はそうつぶやいた。怒ると真っ赤になる都築さんを、教え子たちはこう呼んでいたそうだ。
羽生をねぎらい、その挑戦をたたえた都築さんは、
《帰ってゆっくり時間が取れたら、サウナでも行かない?》
これには羽生も笑みがこぼれた。実はこの“サウナ”という言葉にも込められている思い出がーー。
’11年の東日本大震災で仙台のリンクが営業停止したとき、羽生は都築さんが指導する横浜のリンクで練習していた時期がある。
「こんな震災で大変なときにスケートをしていていいんだろうか、と羽生はずいぶん悩んでいました。そのときに、羽生とご両親とお姉さんと私で、一緒にサウナに行って、非常に楽しい時間を過ごしたんです。それでこの間も、『サウナに行かない?』と話したんです」
羽生は23日に開幕する世界選手権に欠場することが、先日スケート連盟から発表された。右足首の捻挫が完治していないためだ。
「彼もいろいろ考えての決断だと思います」
今後については羽生自身が、《フィールドは問わない》《アイスショーなのか競技なのか》と、慎重に言葉を選ぶように話している。
「どちらを選ぶか、結論を出すのに、彼のなかでまた闘いがあるでしょう。私としては、多くの世界のみなさんに“羽生結弦のスケート”を見続けてもらいたいです。
私は、小さいときの羽生に『芸術家になりなさい』と教えたんです。アスリートでありながらも芸術家になるんだよ、と。それが今の羽生ですよね。今、羽生が世界で人気なのは、羽生の芸術的な感性に感銘を受けているからでしょう」
愛弟子へのエールはーー。
「今はとにかく体を休めて、また新たな未来に向けての挑戦をぜひしてもらいたいと思っています。夢に挑戦する姿こそが、彼のドラマですから」
世界を夢中にさせる『羽生結弦物語』はまだまだ終わらないーー。