羽生の“聖地”がにぎわう仙台 子供たちにとっても英雄
ここに至るまでには、羽生のファンからの声の影響も大きかった。
「羽生選手のファンの方々からご心配をいただいて『なんとかしてあげてください』というお声をたくさん頂戴しました」
植え替えが無事に済んだことを知り、さっそく訪れたファンも。
「新聞で紹介された日は、50人ほどの方がいらっしゃいました。みなさん、『早く咲くといいね』とおっしゃっていましたよ。ほかのスポーツ選手と比べても別格でしょう。ここまで慕われている方はなかなかいませんよね」
ゆづ桜のほかにも、仙台にはいくつかの羽生の“聖地”がある。
たとえば“スケート石”。伊達政宗の霊廟である青葉区の瑞鳳殿は、もともと羽生が’14年に仙台市のポスターで紹介していた名所。
そこを訪れたファンが「スケート靴そっくりの敷石がある」とインターネットに投稿して以来、“聖地”化した。
多いときで1日に300人から400人ほどが、この石を見に訪れることもあったというから驚きだ。羽生の存在が、仙台を活性化させている。仙台にとって、羽生は誇りであり、励みのようだ。
前出の相澤さんは次のようなエピソードを明かしてくれた。実は、相澤さんは羽生の母校・七北田小学校の校長を務めていた。
「ちょうど平昌五輪のときです。全校児童1人1枚ずつ、羽生くんに応援メッセージを書いて送らせてもらいました。すると、羽生くんから700人超の児童全員に彼の写真が印刷されたファイルとメッセージカードのプレゼントが届いたんです。子供たちも大喜びでした。羽生くんのお父さんと電話で話すことができたんですが、『子供たち全員のメッセージを結弦が読みました』と言っていましたね」
子供たちと試合を見守ったときのことも印象深かったという。
「全校で羽生くんの試合を観戦したんですが、それまでガヤガヤしていたのが演技が始まったらシーンとなったんです。そして、ジャンプが成功するたびに、『ウォーッ!』とすごい歓声でした。当時、羽生くんはケガをしていて、子供たちも大丈夫なんだろうかと心配していたと思うんです。それなのに次から次へとジャンプを成功させていくのを目の当たりにしたんですから。
学校で勉強したことは忘れても、あそこの体育館で“羽生先輩”を応援したことはみんな、一生忘れないんじゃないかなと思います。“つらくてもあきらめずに頑張る”という、人生の教えにもなったんじゃないでしょうか」
そして“ゆづ桜”にも、「羽生くんのように逆境を乗り越えて、さらに元気になってほしいですね」と話す。公園内も、先日の地震でサンルームなどが被害を受けた。だからこそ、
「奇麗に咲いたら、励みになりますよね」
ゆづ桜が見ごろを迎えるのは、4月中旬ごろだろうと相澤さん。
「桜の花が咲いたら、羽生くんにぜひ見に来ていただきたいです」
北京五輪のエキシビションで、羽生は松任谷由実の曲『春よ、来い』を選び、美しい演技で魅了。選曲理由を本人がこう語っている。
「世の中にはたくさんのつらいことがあって、どうしても逃げられないつらさや、何も言えないで苦しんでいる人に、少しでも幸せな時間や少しでもホッとできる時間が、春が来たらいいなと思って滑りました」
満開の“ゆづ桜”が、羽生自身のように多くの人に“幸せな時間”を届けてくれるに違いない。