「緊張している、と感じました。ふだんの試合後の会見とは違い、今回は新たな決意を発表する場。自分の気持ちを見ている人たちに受け入れてもらえるのかという不安も感じていたのだと思います」
スポーツジャーナリストの折山淑美さんは、こう語る。7月19日、東京都内のホテルで会見を行い、プロ転向を表明した羽生結弦(27)。
自分の思いがしっかり伝わるのか心配したというのも、無理はない。羽生の決断は“普通”のものではなかったのだから。
“引退”ではない。自分は“プロのアスリート”になるーー。
「最終的な決断に至ったのは、北京五輪が終わってからです」
会見で羽生はそう語った。
4位という結果に終わった3度目の五輪を終えて、北京から帰国したのはおよそ5カ月前、2月21日。成田空港に降り立った羽生は、その夜のうちに、北京に同行していた母とともに、ハイヤーで故郷・仙台へと帰っている。
「仙台に戻ってからしばらくは、ケガをした右足首の痛みがひどく、まともに滑れない日々が続き、療養に充てたそうです。3月下旬に出場予定だった世界選手権も、早々に欠場を決めました」(スポーツ紙記者)
世界選手権に向けての調整が不要になったことで、考える時間はたっぷりできた。
’18年の平昌五輪のあと、常に頭の中にあったという“競技生活を続けるのか、それともプロに転向するのか”という難問に、羽生はいよいよ本気で取り組み始める。
「そもそも彼は納得いくまで分析するタイプですし、なにより人生の大きな決断です。なぜ自分はフィギュアスケートをやっているのか。どうしてこれまで“羽生結弦”として頑張ってこられたのか。“羽生結弦”の存在意義とは何なのか。そんなことまで、深く深く掘り下げて考え抜いたといいます」(前出・スポーツ紙記者)