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カタールW杯の初戦で優勝4度を誇る超強豪・ドイツを逆転で破り、世界中を驚かせたサッカー日本代表。同点ゴールを決めて“奇跡”の立役者となったのが、堂安律選手(24)だ。

 

「律は代表落ちしていた時期もあって、森保監督から評価をされていないのではと感じていたようです。だから“W杯で見返してやる”と意気込んでいました」(堂安選手の友人)

 

その決意どおりの活躍を見せた堂安選手。’17年にわずか19歳でオランダに渡り、海外でのプレーを続けているが、生まれ育った兵庫県尼崎市への愛着は並々ならぬものがある。

 

「堂安選手は3人兄弟の末っ子。次兄は元Jリーガーの堂安憂(26)ですが、今年4月に尼崎で共同運営のサッカースクールを立ち上げました。幼稚園児から小学生まで指導する地元密着の学校です」(スポーツ紙記者)

 

また堂安選手は’20年5月、兵庫医科大学病院に新型コロナウイルス対策の支援金を寄付(金額は本人の意向により非公表)。さらに同年のクリスマスには、地元の児童養護施設「尼崎学園」にビデオカメラ、野球のグローブ、サッカーのゴール用ネットなど約23万円相当と、サッカーボール10球の現物を寄付している。

 

「尼崎学園には翌年も寄付をしています。漫画『タイガーマスク』の主人公・伊達直人をまねて、児童養護施設に寄付をする“タイガーマスク運動”がときおり話題になりますが、彼はまさに伊達直人のようです」(前出・スポーツ紙記者)

 

若くして“地元で困っている人の力になりたい”と行動を起こす堂安選手。その気持ちは母から受け継いだものだという。

 

「彼のお母さんは地元で介護施設を運営していたんです。律はそんなお母さんが大好きで、とても尊敬しています。お母さんの話を始めたら止まらないくらいで、マザコンかなって思うほど(笑)」(前出・友人)

 

母は介護の仕事をしながら、父が経営する会社も手伝い、さらに堂安選手が小学生のころには、西宮のサッカークラブまで車で送迎し続けた。片道1時間かけて毎日往復し、息子の夢を支えた。

 

「お母さんの苦労のかいあって、堂安選手は高校在籍時にガンバ大阪に入団。その後、念願かなって’17年にオランダ・FCフローニンゲンへの移籍が決まったのですが、出発するときにお母さんが号泣していたそうです」(前出・スポーツ紙記者)

 

そんな堂安一家を取材するため、本誌は堂安の故郷・尼崎に向かった。両親はカタール滞在中だったが、祖母が取材に応じてくれた。話は苦手だという祖母といっしょに、周囲にいた友人や元職員たちが話を聞かせてくれた。

 

「お母さんはとても明るい方でね。裏表がなくて曲がったことが大嫌い。一緒に仕事していても信頼できる方でした」(元職員)

 

母は仕事の傍ら、堂安選手のサッカーの相手もしていたというが、めきめき上達していく息子についていけたのは小学校低学年まで。「もう律の蹴るボールは速すぎて追いつかれへん」と笑っていたそうだ。

 

化粧っ気も飾り気もなく働き、子育てした母に、堂安選手は心底感謝しているという。

 

「律ちゃんは海外に移籍して初めての給料で、お母さんにプレゼントをしています。腕時計とリュックです。時計はかなりの高級品ですよ(笑)。ふだんはオシャレしないのに『これ、律に買うてもろたんや』ってうれしそうに使っていました」(祖母の友人)

 

いまも堂安選手が海外から戻ってきたときには、家族そろって食事や旅行に行くという。

 

「笑いが途切れない一家ですよ。お正月は家族全員がおばあちゃんの家に集まりお祝いするのが恒例。昔はおばあちゃんが子供たちにお年玉をあげていましたが、いまは逆。律ちゃんがおばあちゃんに10万円のお年玉をあげています」(前出・祖母の友人)

 

“尼崎のタイガーマスク”は、家族への贈り物でも奮発していた。

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