“死の組”と呼ばれたW杯グループリーグで下馬評を覆す勝利を見せ、日本中を熱狂の渦に巻き込んだサッカー日本代表。なかでも、豪快なゴールで2得点をあげた堂安律選手(24)は、最も結果を残した選手と言ってよいだろう。
堂安と言えば、試合前後のインタビューでの“ビッグマウス”な発言も注目を集めた。
「俺が決める。俺しかいないという強い気持ちでピッチに入りました」(ドイツ戦後のインタビュー)
「なんであそこでフリーになったのがわからないくらいでしたし、『あそこでフリーにさせたら堂安律は危ないよ』ということは(世界に)伝わったかな」「冗談抜きで優勝を目指しています」(スペイン戦後のインタビュー)
「エースになりたいとずっと言っていますけど、リーダーにならなくちゃいけないと思っています」(クロアチア戦後のインタビュー)
そんな、次世代日本代表“リーダー”の原点を探るべく、本誌は堂安の地元・兵庫県尼崎市に向かった。W杯の応援でカタールに行っていた両親に代わって、堂安の祖母が取材に応じてくれた。話は苦手だという祖母とともに、周囲にいた友人らが話を聞かせてくれた。
「お父さんは家族の中ではおとなしいほうで、温厚な方です。子供たちには自由にさせてあげるタイプ。サッカーをやっていたわけではないんですが、けっこう詳しいんです。テレビで試合を見ているといろいろ解説してくれます(笑) 。
律ちゃんもサッカーの話を始めたら止まりません。私がサッカーのことで何か言えば、『違うで、おっちゃん…』なんて始まります。
それから、律ちゃんはとにかく負けず嫌い。忘れられないのが、小学校3年の時。暇つぶしで五目並べをしていたんですが、律ちゃんは自分が勝つでやめようとしない。もう一回、もう一回と続けました。
私も小学生に負けたくないんで、結局20回つづけて勝ってしまって…(笑)。21回目で律ちゃんが勝ったんで、ようやく終えることができました。普段はおとなしい子なんですけど、勝負事ではゆずらない性格でしたね」(堂安家の友人)
兄で元Jリーガーの堂安憂(26)とともに、尼崎で少年向けのサッカースクールを運営していることでも知られる堂安。地元にあたたかく見守ってくれる家族がいるからこそ、強気のプレーを続けられるのだろう。