「FIVB(国際バレーボール連盟)の会議に出ると、海外の主要幹部から『すごい選手が出てきたね』って言われます。もちろん、その際には石川(祐希)や西田(有志)の名前も出ますが、特に新しく出てきた髙橋藍に関しては“タカハシラン”って、フルネームで呼びますから(笑)。それだけ世界が注目している証拠です」
こう語るのは、元バレーボール男子日本代表で、日本バレーボール協会会長の川合俊一さんだ。バレーボールネーションズリーグ2023で、日本男子は銅メダルに輝く大躍進を遂げた。その立役者の1人が、イタリア・セリエAのヴェロ・バレー・モンツァに所属する髙橋藍選手(21)だ。
今年3月には初フォトエッセイ『髙橋藍 カラフルデイズ』(文藝春秋刊)が出版されるなど、そのルックスと華麗なプレーで、いま世界中のバレーボールファンの目をクギ付けにしている。
「髙橋藍のスパイク力は見てのとおり世界レベル。でも、それに匹敵するほどすごいのがレシーブ力です。相手に決められても仕方がないようなシーンでも、彼は普通にレシーブで返す。とにかくポジショニングが優れているんです。だから一見ファインプレーに見えない(笑)。攻守ともに世界レベルの、“二刀流選手”なのです」(川合さん)
打ってよし、守ってよし―、まさに“男子バレー界の大谷翔平”のような存在なのだ。その類いまれなセンスはどう磨かれてきたのか。ルーツを探るべく、本誌は少年時代の彼を知る恩師に話を聞いたーー。
「最初に会ったのは、藍が小学1年生のとき。バレーをやっていたお兄ちゃんに彼がついてきたんです。すばしっこくて運動神経がいいので、何とかバレーボールをさせたいと思いました」
そう振り返るのは、当時「京都ヤングバレーボールクラブ」の監督だった片岡聡さん。
「藍のお母さんに、彼がいちばん興味を持っていることを聞くと、『ポケモンカード』だとわかって。そのころ私の息子もポケモンカードを集めていたので、いらないカードをもらって、藍に『バレーをやるならこれをあげる』と言ったら、『やる!』と。そこから藍のバレー人生が始まったんです(笑)」
練習を始めると、片岡さんはすぐに彼のセンスに舌を巻いた。
「小学校低学年だと、私がコートの真ん中からボールを左右に転がして、ボールがコートから出る前にタッチする、という練習をするんです。大抵の子はボールに向かって一直線に走るので、タッチできずにボールがコート外に出てしまう。ところが、藍は追いつく。どうすれば最短距離でボールにタッチできるか。このころからレシーバーとしての読み、見極める力は抜群でした」(片岡さん)
こうして片岡さんの思惑どおり、後のスター選手はバレーにのめり込むようになっていった。
「中学生になるころの身長は150cmそこそこで、レシーブの上手な選手やなという印象だったんです」
こう語るのは、京都市立蜂ヶ岡中学校バレーボール部監督の蒲田義紀先生。
「中学2年生になると170cm前後まで大きくなりました。藍は自分で相手のサーブを拾って、最後は自分でスパイクを決めるというパターンがこのころから定着。特にサーブレシーブ、スパイクのテクニックは誰もまねができない天性のものでした」
蒲田先生の印象に残っているのは、スキルだけでなく、試合中チームメートがミスをしても、けっして文句を言わないところだそう。
「藍はどの学年にも敵がいない。下からは慕われ、上からはかわいがられるタイプ」(蒲田先生) 人望の厚さに、競技へのストイックさも、プレーヤーとしての成長を支えたようだ。
彼を高校2年生当時から取材しているスポーツライターの田中夕子さんは、スター選手になってもその人柄は変わらないと話す。
「いつもすごいなと思うのは、彼のコミュニケーション能力の高さです。イタリアへ取材に行ったときに、インタビュー後にカメラマンと3人で食事に行く機会があったのですが、彼はお店に入ると現地の店員さんに自分から話しかけて仲よくなっちゃう」
人見知りしないところも、海外リーグでの活躍を支えているに違いない。
パリ五輪を来年に控え、日本代表は9月から予選に挑む。さらなる活躍にますます注目だ。