■「お父さんのヘアスタイルがいちばんいい」
髪を切ってもらう人にはこだわりがない大谷だが、一つだけ、散髪の際、注文することがあった。大谷が小学生のころに通っていた地元・岩手県奥州市の理容室「ヘアーサロンこう」店主・佐々木興子さん(86)は本誌の取材にこう語る。
「ここには月に1度ぐらい、お父さんと一緒に来ていました。お父さんが襟足を少しパサパサと長めに残しているのが好きだったのね。それで『お父さんと同じ(髪形)!』と言う子でしたよ。襟足の一部を3~4センチくらいパサパサと伸ばして、あとは刈り上げていました。
来店するたびに『今日はどうする?』と聞いたんですけれど、毎回『お父さんと同じ!』って言うんです。お父さんのヘアスタイルがいちばんいいと思っていたみたいでね。かわいいですね。お父さんがかっこいいと思って一緒にカットしに来ているんだなと思いました。
おとなしい子でしたよ。たいていのお子さんはお父さんを散髪している間、走り回ったりしているものですが、翔くんはお父さんが終わるまで最後まで真面目に座ってる子でしたよ。
だからね、やっぱりお父さんを尊敬しながら育ったのかなと思いました。何をするときもお父さんに『こうしていい?』と聞いてましたね。素直でいい子でしたよ」
そんな大谷の父・徹さんは8月8日、甲子園のスタンドにいた。
「大谷選手の母校・花巻東が8年ぶりに夏の甲子園で白星を挙げた試合を観戦しに来ていたんです。徹さんは同校の佐々木監督の息子・麟太郎選手の大活躍に目を細めていました。
徹さんは金ケ崎リトルシニアの監督として中学時代に麟太郎選手を指導したこともあります。記者から大谷選手の中学時代と比較するとどうかと聞かれ『力は麟太郎選手のほうが上。当たったときの力はすごい!』と絶賛していました」(前出・スポーツ紙記者)
そのときの徹さんの髪形は、確かにヘルメットなしでダイヤモンドを颯爽と一周した大谷の髪形ととてもよく似ていた。前出の在米コーディネーターは言う。
「大谷選手の髪形は“動きやすさ”がポイントだそうです。いまだにお父さんの髪形を参考にしているかもしれませんね」
前出・佐々木さんも言う。
「翔くんに最後に会ったのは日本ハムに行くときに近くの集会所で送別会をしたときです。30キロ入った地元のお米を町内会長さんが持っていって、『ほれ、これ食って頑張れ!!』ってあげたんですよ。それで『頑張れなー』って言って、みんなで見送ったの。翔くんはニコッと笑っていました。
米国にいる今も、あのときの笑顔と変わらないですよ。翔くんの今の顔はお父さんそっくり! 一緒に髪を切りに来ていたときのお父さんと同じ顔をしているの。だから、やっぱり親子なんだなあと思いました。また髪を切ってあげたいけど、来るかどうかはわからないから(笑)。来てくれたらうれしいですね。いつも地元のみんなで応援しています」
佐々木さんの声は弾んでいた。大谷の“カミ技”で故障者が相次ぎ苦戦するエンゼルスの危機一髪を乗り切れるかーー。