■根性論の反動で始まった“科学への盲信”
「根性という言葉は、仏教用語で人間の生まれ持った根本的な性質を意味しています。しかし昭和時代には、“従順に耐え忍び頑張ることのできる力”という意味しかなくなり、根性を鍛える手段として選手は過酷な練習をさせられました。
その結果、今でも根強く残っていますが、部活動をはじめスポーツ界では“しごき”や暴力的な言動による指導の温床になっているのです。怒気をふくむ強い言葉で選手を追い込めば根性がつく。人格を傷つけようとも不条理な厳しさを課せば根性が身につく。指導者は『気持ちだ!』『根性だ!』、最後は『気合いだ!』と言って、選手たちに従順さや自発的隷従を強いていった」
そんな誤解の上になりたった根性論の反動から起きたのが、科学への盲信だった。
「1980年代以降になると、スポーツの現場に科学が入り込んできます。『練習中に水を飲んではいけない』という根性論に対して、運動中の水分の補給が推奨されたり、うさぎ跳びを禁止にしたりするなど科学的知見が積極的に取り入れられました。
その結果、正しいと思われる練習や筋トレさえ機械的にこなしていけば、何も考えなくても競技力は向上するはずだと。つまり、科学への盲従で「気持ちじゃない理性だ」と合理的な論理だけを重視。メソッドに頼った時代がきました。
誤解・曲解された根性論が否定されるのはいいことですが、主体的に困難を乗り越えたり、変化に対応しうる柔軟性や創造性の獲得につながったりする、本来の根性や努力さえ否定されるようになったのです」
■“言われてやる”のではなく、“自分のための”根性論へ
今や、スポーツにはさまざまなテクノロジーが導入されている。バレーボールでは、サーブはどこが狙い目で、反対に誰が狙われているのかなど、プレーの詳細なデータが監督のタブレット端末に試合中に送られてくる。
またサッカーやラグビーでも、試合中に加速や減速をふくんだ各選手の総走行距離の計測が行われている。こうしたデータありきで、スキルや戦略・戦術、練習法が組み立てられていく時代になった。
「とはいえ、科学やテクノロジー“だけ”では、世界の舞台で活躍することは難しい。そんななか、海外に進出していった日本人選手が、本来の根性を目の当たりにします。たとえばサッカーでいえば、アフリカ出身で、国や家族を背負ってヨーロッパのチームでプレーしている選手たちはまさしく《ど根性》でしょう。もともと日本以外には、《理不尽でも歯を食いしばって練習して、殴られても文句を言わない》など歪んだ昭和の根性論が希薄です。
そこにあるのは、危機に直面したときに自ら乗り越える精神性であり、ストレスやプレッシャーへの耐久性でもあるレジリエンスとしての根性。真摯に努力することの大切さであり、意欲を高めて成長するためには、根性が不可欠であることを肌で感じてきたのです」
そんな海外を経験した日本人選手たちにより、“本来の根性”の重要性が科学一辺倒だった日本のスポーツの世界に徐々に広がっていた。
「世界で活躍する選手たちは、間違いなく根性があって、人一倍の努力をしています。しかし、それは指導者に言われてやってきたのではなく、主体的に練習に取り組んできたことの結果です。
また、来シーズンから大リーグに移籍する山本由伸選手(オリックス・バッファローズ)は、万能と思われた筋トレを否定して、自分なりのトレーニングに取り組んで、圧倒的なパフォーマンスを見せています。
科学やテクノロジーをそのまま鵜呑みするのではなく、自分の頭で考え、自ら必要なエッセンスだけ取りいれて、創意工夫や試行錯誤を繰り返している。そんな科学と根性との融合である“シン・根性論”が世界で活躍する日本人選手を支えている1つではないでしょうか」
【PROFILE】
平尾剛(ひらお・つよし)
1975年生まれ。神戸親和大学教育学部教授。1999年、第4回ラグビーW杯日本代表に選出。2007年に現役を引退し、2009年より現職。著書に『スポーツ3.0』(ミシマ社)がある。